こんにちは。まりや(高2)です。
私は岐阜県に住んでいます。
地元の公立高校に通う女子高生。部活では美術部に入っています。
この日は土曜日が休みなので、「梅の実」メンバーのみかん(アライグマ・♀3歳)と一緒に遊びに行くことになった。
場所は名古屋。名古屋はショッピングに行くことが多いけど、自分にとって、思い入れのある町でもあります。
同じ「梅の実」メンバーのキャンディ(アルパカ・♀3歳)とはるな(高2)と待ち合わせ。
4人でショッピングに出かけたり、ご飯を食べに行ったりと、いろいろと楽しみました。
そして、みんなでカフェでお茶しに行くことに。
和テイストのカフェ。ここでは名古屋名物の小倉(あずき)がウリのスイーツが人気です。
みかん「おいし~。甘すぎず、いくらでも食べれる。」
まりや「ホント。塩分も控えてあるから、体にもいいしね。」
はるな「ここのスイーツは和のテイストが中心だから、低カロで超おいしい~。」
キャンディ「うちの店もスイーツが置いてあるけど、基本的には体にいいものを使っているの。」
みかん「キャンディのおうちって、何のお店?」
キャンディ「カフェ!私のところは、体にやさしい素材を使っているよ。例えば豆乳や全粒粉など。動物性食品を使わないのが特徴なの。」
まりや「私も食事制限したからな~。塩分だとか、たんぱく質だとか。」
みかん「まりやって、どこか悪いところがあるの?」
まりや「子どもの頃ね。大きな病気をしたの。今は元気になって普通に生活できるようになったの。」
はるな「差支えなかったら、話してもらっていい?ウチら4人だけの秘密に。」
まりや「いいよ。男子以外は誰でも話してもOKだから、話すね。実はね…」
実は私、大きな病気をしました。
そのことを今回話そうと思います。
~7年前~
私は、小学4年生の時に大きな病気にかかりました。
生まれた頃から小学3年生までは、何も大きな病気のない、健康な女の子でした。
しかし、そんな私に異変が起こりました。
4年生なのに、おねしょをしたり、ちょっと立っているだけでも疲れたり、すぐに横になったりすることがよくあります。
体育の時間、いつも通りに着替えて、体育館へ。
準備運動をした後、跳び箱とマットの運動。
自分の出番が来て、跳び箱を飛ぼうとしたその時!
突然、目の前が真っ暗になり、そのまま倒れ込みました。跳び箱もこわれて下敷きに!!
先生と他のクラスメイトがびっくりしていて、すぐに救急車に運ばれました。
幸い頭と手足に軽いけがだけで済みましたが、別の病気の疑いがあるため、地元の病院から名古屋にある大学病院へそのまま転院に。
場所は「名駅大学附属病院」です。
検尿と採血、レントゲン…といろいろな箇所を検査しました。
両親だけ呼び出されて、検査の結果を告げられました。
結果は…重い「腎不全」でした。
その当時の私は自分の本当の病気のことを知りません。あとでお母さんから、本当の病気のことを告げられました。
薬を服用したり、先ほど言った塩分や水分、たんぱく質などの食事制限を受けました。
後日、人工透析も経験しました。
血液のような液が入った機械に点滴や輸血のように腕を注射して、長時間機械と横たわります。
重い腎臓の疾患の場合、人工透析をしなければならず、少しでも時間が遅れたら、命にかかわります。
こんなにつらい治療、本当に嫌だ…。
そんなとき、私の主治医の里津子先生(41歳・外科医)がよく来てくれました。
当時まだ若かった里津子先生。透析の時、つらいときに声をかけてくれたり、透析以外の時でも遊び相手になったり、とても励みになります。
そんな中、両親は脳死移植のドナーを探しましたが、なかなか見つかりませんでした。
残すのは親族からの生体腎移植でした。
両親は自分たちだけでなく、親戚に私の移植のドナーを呼びかけました。しかし、親戚は誰もドナーになってくれません。
しかし、希望は捨てていません。両親のドナー検査の結果、運よくお父さんの腎臓が私と適合しました。
父親「まりや、聞いてくれるか?」
まりや「何?」
父親「お前の腎臓のことだけどな、お父さんの腎臓の一部をもらえることになったぞ!」
まりや「え?ホント?」
母親「ホントよ。あんたの体にお父さんの腎臓が1つもらえることになったの。移植が成功したら、つらい透析はしなくていいのよ。」
まりや「…。」
母親「どうしたの?何か不満があるの?」
私は泣いていた。つらい透析をしなくていいっていう喜びと、移植手術をするときの怖さ。
そのとき、里津子先生が来てくれました。
里津子「大丈夫よ!先生たちもついているし、必ず治すから!!一緒にがんばろう!!」
里津子先生の励ましに、私は手術を受ける決意をしました。
1週間後、先に私が手術室へ。
手術台に入ったときは怖かったけど、うつ伏せになって、他の先生や看護師さんたちが笑顔で話しかけてくれて、少しリラックスできました。
そして、全身麻酔をして、眠くなりました。先生たちが準備をした後、私の手術が始まりました。
背中にメスを入れて、2つある腎臓を摘出。
その後、お父さんも手術室に入り、同じく手術が開始されました。
手術室では2つ部屋がありましたが、お父さんの部屋では、お父さんの腎臓1つが摘出され、すぐに私がいる部屋へ。
傷を縫合、消毒した後、お父さんの手術は終わりました。私の方はまだまだです。
お父さんから摘出された腎臓を、私の体内に移植しました。
そして、手術は無事に終了しました!!親子ともに成功です!!
私が目が覚めたときは、ICU(集中治療室)の中でした。その時は、お母さんと先生たちがいました。
お父さんは別の病室で安静にしているそう。
それから3日後、お父さんが背中を痛がりながらも、ICUにやってきました。
まりや「お父さん…。」
父親「まりや…がんばったな…!」
まりや「うん…。」
と、お父さんは私の手をずっと握りました。お母さんは泣いていました。
家族とつないだひとつの「命」が誕生しました。
それから2か月後、私は元気に退院して、1か月後に学校に復帰しました。
しかし、治っても「免疫抑制剤」という薬を毎日飲まなければならないし、定期的に通院もしないといけません。理由は移植後の拒絶反応が起こる可能性があるからです。腎移植の場合、移植後の拒絶反応が原因で、再び移植をするためのドナーを待たないといけないし、そのまま亡くなる方もいます。
7年後、私は高校2年生に。今のところ拒絶反応や命にかかわる感染症などの病気は起こっていません。今でも里津子先生の通院を受け、免疫抑制剤の薬を服用しています。
里津子先生とは、同じ女性として、よき先輩として、病気のこと以外でもよく話すようになりました。
お父さんも普通に仕事をしているし、お母さんも毎日家族のことを考えてくれます。
食事制限も今はなくなりましたが、自分の健康のことに気を使うようになりました。
そして、将来は看護師か福祉関係の仕事に就きたいです。これから進路のことで悩むことがいっぱいあるけど、気長にがんばっていけたらいいな(*^。^*)
キャンディ「…そうだったんだ。つらかったね…(涙)」
みかん「移植って、脳死移植もなかなか難しいけど、生体移植っていう方法もあるんだね。知らなかった。」
はるな「ウチも~。こういうことって、学校では教えてくれないよね~。「梅の実」メンバーでも病気と闘った子もいるし、命と向き合うことも大事なんだよね~。」
まりや「そうだよね~。メンバーの中には、重い病気と闘った子もいたけど、みんなつらい治療を乗り越えて、心身ともに強くなっているし、みんなそれぞれに目標を持っている子もいるしね。」
全員「は~あ~(^o^)」
お茶を飲みながら、ほっこり。
気が付けばもう帰る時間!
このあと、はるなとキャンディとはここでお別れして、私とみかんは電車でそれぞれの家へ帰りました。
闘病生活はとてもつらかったけど、命のことを向き合う時間でもある。
私は、その経験を活かして、多くの人の役に立ちたいです。
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