梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

母からのセカンドバースデー

こんにちは。敦志(大学1年)です。

ぼくは現役の大学生。兵庫にある「阪神学院大学」に通っています。学部は医療技術学部で、学科は看護学科。看護師を養成する学科です。(当たり前ですが(^_^;))

看護学科は1学年で80名ほどですが、大半が女子です。ぼくを含め男子は20名前後です。

最近では看護を学ぶ男子が増えてきました。高校卒業したての男子は看護大学で学ぶ人が多いですが、社会人の場合は働きながら看護学校で学ぶ人が多いです。

 

ぼくは高校を卒業してから今の大学に進学しました。実家は四国・高知です。

親元を離れて一人暮らし。学費は母親の佳美(43歳・フードコーディネーター)が払っていますが、生活費は病院の看護助手と家庭教師の2つのバイトと奨学金でやりくりしています。仕送りはありません。

時々、母親から食品などが入った段ボールが送られてきます。中は母親が作った漬物やふりかけなど、保存食が多いです。ぼく自身は自炊をしますが、母親が作った保存食は本当にありがたいです。懐かしいふるさとの味。

 

ところで、ぼくが看護師を希望した理由って?

じゃあ、教えますね。

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ぼくは今は普通の人と同じ生活をしていますが、子どもの頃に重大な病気にかかっていたんです。そのことを話そうと思います。

 

~10年前~

ぼくは両親と妹の真美(高1)と一緒に幸せな生活を送っていました。

 

そんな幸せな生活が崩れてしまったのは小学生の頃。

ぼくが小学校1年の頃に両親が離婚しました。理由は父親の浮気でした。

離婚調停で、ぼくと妹の親権は母親になり、父親は2人の子どもの養育費を大学進学まで毎月払うことで合意しました。

両親が離婚しても、父親と会いに行ってもOKなので、妹と一緒に会いに行きましたが、半年後に浮気相手の女性と再婚して、会うことはなくなりました。

 

そして2年生なった秋ごろにぼくの体に異変が起こりました。

時々体が疲れたり、白い目が薄い黄色になっていました。熱もありました。

母親と一緒に地元の大学病院へ。病気は「胆道閉鎖症」という肝臓周辺の病気です。

実はその病気で生まれた時に手術を受けました。手術後は元気になり、通院しながらも普通の生活をしていました。まだ赤ちゃんだったので、手術のことはあまり覚えていません。

2年生で倒れた時は、胆道閉鎖症の病気が悪化し、胆管炎も併発していました。

すぐに入院し、検査を受けました。しばらくは抗生物質などの点滴や薬を服用して様子を見ました。

検査の結果、肝移植が必要になりました。胆道閉鎖症による肝機能障害があるからです。

 

ただ、地元の大学病院では肝移植の実績はなく、関西にある「京阪大学附属病院」へ転院することになりました。

関西へ行くのは生まれて初めて。

母親と妹と一緒に関西で生活。母親の仕事はフリーのフードコーディネーターをしていたので、母親の知人のフードコーディネーターのスタジオを借りて仕事をしていました。

ぼくはそこで入院生活を送りました。学校の勉強もできないので、小児科の院内学級で勉強をしました。

 

肝移植ですが、脳死移植は当時はありませんでした。脳死移植がある今でも実際に受けた例は非常に少ないです。

親や親族からの肝臓の一部を移植する生体肝移植以外ありません。

母親は自分のドナー検査と同時に、親族に臓器提供を呼びかけましたが、みんな断られました。

しばらくして、母親のドナー検査の結果が出て、なんと運よく適合しました!!

先生から手術のことを聞いたときは、喜びもありましたが、大きな不安もありました。

母親の肝臓がもらえるのはとてもうれしい。でも手術を受けるのは本当に怖い。失敗したらどうしようと思うし、死ぬのも怖い。

でも母親がその不安を消してくれました。

佳美「敦志、お母さんがついているから心配しなくていいからね。一緒にがんばろうね。」

母親の一言で勇気づけられました。

 

その後、検査や治療の日が続きました。肝臓以外の治療も受けました。

そして手術の日が決まったのは小3の春ごろ。手術の1週間前に母親も入院しました。ベッドはぼくと同じ部屋に。

母親も検査を受け、大きな問題はなく、いよいよ手術の日になりました。

 

最初にぼくが手術室に入るので、手術前の注射を受けました。緊張を鎮めるための注射です。

準備をした後、タンカーで運ばれます。

佳美「敦志、がんばるんだよ。お母さんもがんばるから。」

敦志「うん。」

と、ベッド越しの母親を後にして、ぼくは手術室へ。

 

手術台で横になったぼくはすごく緊張しましたが、先生や看護師さんたちが優しく話しかけてくれたので、すごく落ち着きました。全身麻酔をしてからしばらくして、ぼくの手術がはじまりました。

先生たちはぼくの体にメスを入れた後、肝臓を摘出しました。

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その間に母親も手術室へ。妹が一人になってしまうので、母方のおじいちゃん、おばあちゃんも来てくれました。妹の世話はおじいちゃんたちが面倒を見ることになりました。

母親の手術も始まり、先生たちが母親の体にメスを入れて、肝臓の半分を摘出しました。

傷を縫合した後、母親の手術が終了しました。ぼくの方はまだまだです。

摘出した母親の肝臓をぼくの体内に移植をしました。

そしてぼくの手術が終了しました。結果は無事に成功しました!

手術後はぼくはICU(集中治療室)へ、母親は個室の病室へ移しました。

 

ぼくが目を覚ましたあとは、おじいちゃん、おばあちゃん、先生や看護師さんたちがいました。人工呼吸器をつけていたので、しゃべることができませんでしたが、手術が無事に終わったと聞いたときはホッとしました…。

妹はまだ小さいので、ぼくの病室に入ることができません。妹は看護師さんが面倒を見てくれました。

 

手術から3日後に、母親が点滴をぶら下げながらICUにやってきました。

母親は傷の痛みを抱えながら歩いていました。見た目は笑顔を見せていましたが、内心痛そう…。

敦志「お母さん…。」

母親はぼくの手を握りました。

佳美「敦志、よくがんばったね、えらかったね…。」

敦志「お母さん…ありがと…。」

ぼくは涙が出てきました。お互い顔をむきあいながら、一緒に泣きました。

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ICUの病室で、親子で一緒に泣いたことが、今のぼくの原点です。母親から新しい「命」をもらった「セカンドバースデー」でした。

 

手術から2週間後、ICUから個室の病室へ移りました。同じ時期に母親は退院しました。

個室の病室へ移った後も点滴や薬による治療は続きます。感染症予防のため、マスクもつけます。

母親は退院から2週間後に仕事に復帰しました。母親の肝臓は半分になりましたが、何も問題はありません。

そしてぼくは過酷な治療の結果、2か月後に退院しました!!手術後の経過も順調で、回復も思った以上に早かったです。

 

退院後も通院治療を受けました。しばらくは移植した関西の大学病院で通院。経過も順調で、3か月後に関西から地元・四国の大学病院で通院治療をすることになりました。

そして、小学校の高学年、中学・高校へと成長し、高校卒業後に今の大学に進学しました。

 

大学が関西にあるため、四国の大学病院から移植先の関西の大学病院へ再び通院することになりました。

ぼくの手術の執刀をした主治医の先生とは、病気のことなど、つらいことや困ったことなどに話せる一番の相談相手です。父親がいないせいか、本当の親子のように何でも話します。たまに世間話もしますね。

担当の看護師さんが男性だったので、入院中のつらいこととか、優しく声をかけてくれました。この看護師さんに触発されて、自分も看護師を目指すことになりました。今は担当の看護師さんは別の病院に転職しましたが、退院した今でもときどき手紙のやり取りはしています。

 

大学では講義が多いですが、看護の実習もあり、毎日真剣に勉強をしています。部活はバスケットボール部に入っています。中高からずっと続けていたので、週に3回の練習に参加しています。

通院治療ですが、今は2か月に1回に定期検診があります。定期検診は採血や肝エコーなどが中心です。定期検診のない月に診察を受けます。治療は今は服薬が中心になりました。移植を受けてから何か月かはいろんな薬を飲んでいましたが、今は免疫抑制剤を毎日飲んでいます。免疫抑制剤は大人になっても一生飲み続けなければなりません。移植をしても拒絶反応を起こしたり、感染症などの重大な病気にかかってしまう恐れがあるからです。

 

母親は地元四国でフードコーディネーターをしています。雑誌のレシピ記事の撮影や商品開発など、とても忙しい毎日を送っています。妹は高校生になり、すでに彼氏(哲弥・高1)ができたそうです。

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生体肝移植は胆道閉鎖症をはじめ、肝硬変や肝臓がんなど、多くの患者さんに移植されました。胆道閉鎖症患者は生体肝移植のおかげで、成人になっても生き続ける人が増えてきました。

成人になったときの問題は、小児特定疾患の支援がなくなってしまうことで医療費の負担が増えることと、社会人になっても通院治療は受けなければならないので、職場を休まなければなりません。職種にもよりますが、体力的に難しい仕事は業務に支障をきたしてしまう恐れがあります。ぼくが目指している看護師もハードワークですが、無理をしないように自分の体をコントロールしなければなりません。女性の場合は結婚・出産で大きな問題が生じてきます。

生体移植だけでなく、国内の脳死移植も増えてほしいです。倫理上の問題や家族関係の問題もありますが、肝臓や腎臓、心臓などの移植を待っている人たちがたくさんいるので、多くの方の命をつないでほしいと思います。

 

ぼくは胆道閉鎖症の患者たちが集まるグループの世話人をしています。同じ病気と闘っている子どもたちに遊び相手や勉強を教えたり、同じ病気と闘っている(いた)成人の方たちと一緒に悩みを共有したり、生活のことについてお互いに意見交換をしたりしています。

 

自分の看護師像ですが、自分が大きな病気を経験していることを活かして、いろんな病気を抱えている患者さんに笑顔と元気を出してあげること。看護技術は知識と経験を磨かなければなりませんが、患者さんが苦しいとき、つらいときに笑顔で励ましてあげることがぼくの使命です。

 

あ、自分のことを話しているうちにもうこんな時間。

大学の授業も終わりなので、これからバイトの時間。今日は看護助手のバイト。

看護助手のバイトは単純作業が多いけど、多くの患者さんに出会ったり、先輩看護師の仕事を間近で見る機会なので、とてもいい刺激になります。

 

病気がきっかけでたくさんの人たちから元気をもらいました。今度はぼくが元気を送る番。たくさんの人たちに心から感謝しながら、立派な社会人として成長していきたい。

大学を卒業して立派な看護師になって、家族やたくさんの人たちに恩返しがしたいです!

 

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