梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

ぼくが看護師になった理由

こんにちは!翔祐(25歳・看護師)です。

ぼくは都内の大学病院で看護師をしています。大学を卒業した3年目のナースです。

勤務先ですが、「慶明大学附属病院」。母校である大学の系列の病院です。

所属する部署は消化器病棟・消化器外科チーム。患者は主に消化器系のがんや特定疾患、肝臓やすい臓などの臓器移植を受ける予定の方が中心です。新米の医師たちの勉強として、普通の消化器疾患の患者も見ることがあります。

 

今日もふだん通りに仕事開始。午前中は入院患者のバイタルチェックや点滴の交換など。週に1回に「男性肛門外来」があり、月に1回ほど先輩の男性看護師と交代で外来を担当することがあります。

昼食を済ませた後、午後からは医師たちの回診の介助が中心。日によっては患者とふれ合う時間があったり、他の看護師と一緒に検査や手術を受ける患者を運んだり、この日の患者のバイタルなどをパソコンに入力したり…。

これが看護師の一日の流れです。ただ、これがいつも通りあるわけではなく、患者の容体が急変した時にはすばやく対応しないといけないし、昼食も12時に食べれるわけではなく、早ければ11時ごろ、遅い場合は2時ごろに昼食を取ることもざらにあります。夜勤も必須なので、夜勤の仕事もあります。

薬や点滴等の投与も先輩たちのダブルチェックが必須。誤って投与すると思わぬ事故につながりかねません。過去に医療事故で亡くなった患者もいましたから。しかし、人手が足りないほど忙しい場合はダブルチェックができないときがあります。その際は一人でチェックをしないといけないです。薬や注射、点滴の投与は必要以上に神経を使わないといけないです。

 

看護師は女子にとってはあこがれの仕事ですが、最近では男子も増えてきました。うちの病院では男性看護師の数が多いので、すごくやりやすいです。ちなみに消化器病棟では内科・外科各チーム合わせて8人いるので、一般病棟では多い方です。

 

翔祐「○○さん、今朝はよく眠れましたか?」

患者「なんか物音が大きくて眠れませんでした。あと、ちょっと寒かったですね。」

翔祐「そうですか。昨日は寒かったですからね。それと昨日は容体が急変した患者さんがいましたから、余計眠れなかったですかね。寒くて眠れなかったみたいなので、湯たんぽがありますけど、用意しましょうか?」

患者「あ…お願いします。」

翔祐「わかりました。今夜は湯たんぽを用意しておきますね。では、血圧を測りますね。」

と、患者の状態や訴えを聞きながら、それぞれの患者にあった看護を心がけています。

 

医師とのコンタクトも重要な仕事。ぼくの場合は消化器外科のドクターが中心ですが、その中で助教の鎮先生(38歳・外科医)は一番の良き理解者でもあり、仕事上のパートナーでもあります。

鎮「…はい、いいですよ。今の薬で様子を見ましょう。…(中略)…翔祐くん、○○さんの○○(薬の名前)の量を減らしてくれる?」

翔祐「はい。何mgですか?」

鎮「0.5mgで、一応容態には気をつけて。」

翔祐「わかりました。」

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というふうに、医師や他の看護師たちとのコミュニケーションをとっています。

 

ところで、ぼくが看護師になった理由について、まだ話していませんでしたね。

実は小学生の時に大きな病気で入院をしたことがあるんです。しかも、現在の勤務先の病院で。今日はそのことを話したいと思います。

 

~19年前~

ぼくがまだ保育園児だったころです。急に発熱があり、体がだるかったのです。

ぼくの異変に担当の保育士の方が気づき、すぐに保健室へ。ぼくの様子を見て、保健師の方がおかしいと思い、すぐに近くの病院へ連れて行くと同時に、仕事中の母親に連絡。

あとで母親がかけつけ、すぐに診察を受けましたが、お腹にしこりがあることに気づき、血液検査で異常が見つかりました。

医師からは大学病院で診てもらうようにと言われ、現在の勤務先である「慶明大学附属病院」の小児外科に紹介状を書いていただきました。

 

次の日、母親と一緒に「慶明大学附属病院」へ。小児外科の外来で診察することに。そこで当時の主治医の先生に巡り合いました。

さまざまな検査を受けた結果、「肝芽腫」と診断されました。

肝芽腫は肝臓にできる小児がんで、多くが4歳以下の子どもに多いがんです。ただ、ぼくが発症した年齢が6歳。5歳以上ではまれだそう。

すぐに入院。病気のことについては父親と母親だけ告知し、ぼくには何も教えてくれませんでした。ぼくにはお腹に大きな病気ができたって言われただけ。

 

治療は手術と抗がん剤が中心。他には放射線治療などもありました。

手術は肝臓の中にたまっていたがん細胞を摘出する手術が中心。あまりにもひどい場合は肝移植をしなければなりませんが、ぼくの場合は幸い腫瘍部分が小さかったため、部分的な摘出になります。

初めて手術を受けるのはすごく緊張しましたが、家族や先生たちが声をかけてくれたので、すぐに緊張がほぐれましたね。手術は肝臓にたまったがん細胞を摘出。約6時間かかりました。

目が覚めたときは強烈な傷の痛みで泣きそうになりました。消毒をした時の痛みで泣きましたね(>_<)

それと同時に抗がん剤治療。点滴が中心でした。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けたり、吐き気などもありました。

一番つらいのが髪の毛が抜けたことと、長期の入院になるので、学校にも行けないことです。髪の毛が抜けるのはすごく嫌でしたね。学校の友達に見られてしまって、からかわれるのが嫌でした。ただ、病院内では白血病などの小児がんにかかり、同じような頭になってしまった子どもが多かったため、病院内ではそんなに気にしませんでしたけど。保育園も途中で行かなくなったため、そのまま卒園証書がもらえました。学校も入学式には出れませんでしたし、他の行事にも参加ができなかったです。もちろん、勉強も遅れました。その際は院内学級があったので、勉強が遅れているところは担当の先生が教えてくれましたね。

 

つらい治療から半年以上で何とか退院できました。

自宅療養をしながら通院治療があります。通院のときは飲み薬による治療が中心で、定期検診も必須です。学校に戻ったときは最初は戸惑いもありましたし、髪の毛がないことでいじめられるんじゃないかが心配でした。しかし、多少のからかいはあったものの、のちに仲良しになりましたね。それに友達と一緒に勉強するのがすごく楽しいし、家族と一緒に過ごす時間が一番楽しい。

 

しかし、退院から3か月ほどで再発が見つかりました。

すぐに入院し、抗がん剤治療。もう1度手術をすることに。今度の手術は非常に難しい手術だそう。

両親は主治医の先生から「この手術の後に再発や転移が見つかったら、次の手術は不可能」と言われたそうです。

そしてしばらくして、2度目の手術に。最初のときよりは緊張はありませんでした。

手術は最初と同じように腫瘍を摘出しますが、小児外科の医師たちだけでなく、消化器外科の医師も加わりました。2度目の手術は消化器外科の医師が中心となり、その先生は当時教授をしていて、数多くの難手術を成功させた「ゴッドハンド」だそう。腫瘍の摘出に肝臓の状態をよくする手術も行い、輸血も行いました。約8時間以上の大きな手術だったそうです。

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手術後はICUに移し、強めの抗がん剤で治療を行い、がん細胞が消失するのを待ちます。

最初のときもそうでしたが、治療は想像以上につらかった。注射自体はそんなに嫌いな方ではなかったけど、毎回同じ治療だとすごくつらい。注射の痛みでときには泣いたこともしばしば。

2年生になった春ごろ、見事にがん細胞が消失し、病気を完治することができました。

そして2か月後に無事に退院することができました。あとで分かった話ですが、ぼくの病気の状態は「ステージⅠ」だったため、保育園時代の保育士や保健師らが異変に気付いたことで幸い早期に発見することができ、再発があってもなんとか完治までにたどり着くことができました。これがもっと発見が遅かったら、今のように生きてなかったと思います。保育園の保育士の方たちやぼくを治療してくれた先生たちにはとても感謝しています。

 

退院してから4年後の小6のとき。家族でテレビを見ていた時のことです。

ある小児がんにかかった子どもたちのドキュメント番組を見ていましたが、その映像でその子どもたちが打っていた点滴が、かつて入院した時にぼくが打たれていた点滴と同じものだったことに気づきました。

その時「え?ぼくの病気はがんだったの!?」と、このとき初めて知りました。

両親にぼくの病気のことを問い詰めましたが、知らないの一点張り。

翔祐「さっきテレビに映っていた子どもの点滴とぼくが打ってた点滴が同じだったよ!」

と、ぼくが言い放った時には両親は何も言えませんでした。

その後ショックを受け、一人で部屋に閉じこもって泣いていました。

 

後日、定期検診があった日に主治医の先生にこのことを話しました。先生は本当のことを話してくれました。

翔祐「やっぱり…。」

主治医「しかし、今は完治してからもうすぐ5年を迎える。来年の定期検診で何も異常がなければ大丈夫だ。」

と、完治から5年がたって、再発が見つからなければ、完全に完治したことになるとのこと。ぼくはその日を待つ以外ありませんでした。

 

完治から5年を迎えた中1のとき。運命の定期検診がありました。

いろいろな検査を受けた結果、再発が認められませんでした!!完全完治です!!

主治医「おめでとう。よかったな。よくがんばった。」

翔祐「よかった…(涙声)…。」

と、何も言えないほど大声で泣きました。がんの再発が認められなかった安堵感と喜びで大粒の涙を流しました。

付添いに来た母親ももらい泣きをしました。

そして中学を卒業と同時に小児外科での診察が終わってしまい、その後は一般外科の方で引き継ぐことになりました。それと同時に主治医の先生がクリニックを独立開業するために、病院を辞めることになりました。

このときのぼくは人に役に立つ仕事がしたいという気持ちはありましたが、何の仕事がしたいのかがわかりませんでした。ちょっともやもやした気持ちのまま高校に進学しました。

 

高2のときの定期検診のときでした。さすがに母親の付添いはなく、一人で病院へ行くようになった頃でした。

診察室へ入ると一般外科の当時の主治医の先生の横に男性の看護師がいました。

初めて見る男性看護師にびっくりしました。小児科時代の看護師はみんな女性でしたから。

いつものように診察を受けました。男性の看護師の方は血圧の測定や採血をしてくれました。初めて男性看護師による介助を受けましたが、女性看護師に比べて安心感がありました。

次の定期検診のときにもその男性看護師がいました。いつものように診察が無事に終わった後にぼくは話しかけました。

翔祐「あの…ちょっといいですか?」

看護師「はい。何か?」

翔祐「あの、何で看護師になろうとしたのですか?」

看護師「人に役に立つ仕事がしたいことかな~。あ、そうだ。今度うちの病棟で見学に来ない?看護師の仕事についてどんなものなのかを教えるよ。」

翔祐「はい!お願いします。」

看護師「わかった。じゃあ、上司と相談して、スケジュールを確認してから連絡するね。」

ぼくは連絡先を教えて、後日連絡が来るのを待った。

 

数日後、一般外科病棟に見学へ。そこには先ほどの男性看護師とその上司であるベテラン男性看護師がいました。

看護師についての仕事の説明や男性看護師ならではの良さと苦労についてもいろいろ教えてくれました。あと、患者の看護を一緒に体験したり、患者との親睦を深めました。ちなみに一般外科の男性看護師はのちのHCUの師長に、ベテラン男性看護師はのちの副看護部長に昇進しました。うちの病院で男性の副看護部長はベテラン男性看護師が唯一だそうです。

 

看護の現場の見学や看護体験を通じて、夢が見つかりました。

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「看護師になりたい」

その思いが強くなりました。

そのことを両親に相談しました。最初はびっくりしましたが、

母親「翔祐がやりたいなら、やりなさい。お母さんたちも応援するから。」

と、後押しをしてくれました。

父親はどうせ看護師になるなら大学に行った方がいいと言われ、看護系学部のある大学を選びました。その中で、かつて入院生活を送り、現在の通院先の病院の系列である「慶明大学」を第1志望にしました。

しかし、「慶明大学」の看護学部は私立の看護系大学ではトップレベル。偏差値もギリギリで、担任の先生からは難しいって言われましたが、何とかこの大学に行きたいと思い、必死で猛勉強をしました。そして、一般入試で「慶明大学」に合格しました!

 

大学での4年間は充実した学生生活を送ることができました。講義に実習と、すごくいい刺激になりましたね。バイトやクラブにも積極的でした。

就職活動の末、第1志望だった現在の病院に就職が決まり、大学卒業と同時に国家試験に合格し、看護師と保健師の両方の免許を取得しました。

部署ですが、高度救命救急センターと女子が対象の女性専門病棟を除く第1希望から第3希望まで選択できることになっていますが、もともと希望していた小児科は当時は男子の募集はありませんでした。小児科の看護師はその当時は一貫して女子しか受け入れをしていませんでした。当時の看護師長の方針だったのです。それで仕方がなく、急性期看護を希望していたICUなどを選択しましたが、見事に外れました(^_^;) それで残った一般病棟の中から選択して、配属になったのが現在の病棟です。ちなみに小児科病棟はぼくよりも次の学年から男子を受け入れることになり、初めて受け入れたのが大学の後輩でもある利音(23歳・看護師)でした。

 

入職した当初は仕事が全然できませんでした。薬を間違えそうになったり、患者を怒らせたり…と、失敗続きでした。一時は仕事を辞めたいことも考えていました。

しかし、初めて担当した患者が退院した時に、患者から「あなたが担当になってくれてよかった。ありがとう。」と言われた時は、思わず涙を流しました。患者からの「ありがとう」の言葉ですごくうれしかったですし、初めて人の役に立つことができたのです。

泣いていたぼくを患者は「あなたはすばらしい看護師になれる!自信を持ちなさい!」と言われたことで、ぼくの気持ちが変わりました。それから必死になって仕事を覚えました。採血などの看護技術も仕事が終わってから大学の実習室に残って同期のナースたちと一緒に練習をしました。

 

3年後、今は仕事にも慣れ、自分の理想とする看護師の仕事に近づきました。一人一人の患者に合わせて、その患者にあった看護ができるようになりました。患者からも職場の同僚からも信頼されるようになりました。

退院した患者から時々手紙が送られ、感謝の気持ちが書かれていました。患者からの手紙はすごくうれしくて、家に持って帰って、部屋で大切に保管しています。電話で患者の元気な声を聞くと何よりもうれしいです。その時、看護師をやってて本当によかったって思っています。

現在は自分の仕事のほかに1年目ナースのプリセプター(指導係)を担当し、後輩の育成を行っています。そして、今の病棟ではがん患者と接する機会が多いので、がん看護関連の認定看護師の勉強をしています。まだ認定看護師の受験資格には達していませんが、勉強会には参加することができるので、勉強会の日には仕事が終わった後に必ず参加しています。将来的にはがん看護専門看護師の資格を取得することが目標です。

 

小児科自体は「卒業」しましたが、小児科病棟からの依頼で、小児がんと闘う子どもとその家族を対象に、自分の体験を語ったり、闘病に関する相談をしたりしています。自分も小児がんの経験者として、少しでも役に立てればとの思いで引き受けました。ちなみに小児科では担当の看護師は別の病院に転職しましたが、ぼくの手術の助手を務めた若手医師は小児科の准教授に、当時担当の看護師といっしょだった若手看護師は現在の小児科病棟の師長になりました。

プライベートではがん患者とその経験者たちが集まったボランティア活動をしています。同じがん患者・経験者が集まって、それぞれの悩みや近況について語り合ったり、リレーウォークに参加したり、ボランティアスタッフとして裏方の活動をしたりしています。

 

職場の仲間たちですが、同じ消化器外科チームにいる早貴さん(27歳・看護師)と彩果(23歳・看護師)とはきょうだいのような仲ですね。早貴さんはぼくが1年目のときのプリセプターをしていましたし、彩果が1年目のときのプレ指導係がぼくでしたからね。彩果は病棟イチの美人ナースで、消化器外科の春馬先生(27歳・外科医)と付き合っていますが、彩果ののろけ話には完全にスルーしています(ワラ)。早貴さんはしっかり者のお姉さん的存在。2人の「姉」と「妹」とは適度な距離を保ちながらも仲良くやっています。

消化器内科チームでは主任の大記さん(35歳・看護師)とメローネ(うさぎ・♀5歳)がいます。大記さんとは間接的な上司なので、1年目のときはよく怒られましたね~。でも、根は優しいところがあるんですよ。メローネは元アイドル出身ですが、持ち前の明るさと笑顔はこっちも元気が出ます。

そして医師たちですが、春馬先生は研修医を卒業した新米医師で、研修医時代を含めて、同じ時期に入職しました。ぼくとは年齢も近いので、すごく仲はいいですね。鎮先生は先ほど言った通り、仕事上のパートナーでもありますが、実は2度目の手術を執刀した当時消化器外科の教授の先生の息子さんで、ぼくの病気のことも知っていました。プライベートでは時々ご飯を食べに行ったり、仕事などでいろいろと相談にのってくれます。

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最高のスタッフたちとめぐり会えたことがとても幸せですし、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

がんは子どもから大人まで誰でも起こりうる病気です。特に子ども、とりわけ乳幼児の段階では自分で訴えることができないため、親や周りの大人が真っ先に気付いてあげなければなりません。たとえかぜのような症状でも、放っておくと取り返しのつかないことだってあるんです。子どもの異常な変化を見過ごしてはならないことです。

予防はやはり定期的な健診以外ありません。検診は会社や学校の健康診断でも見つかることがありますが、がんを確実にチェックするには各種がんのがん検診が有効です。ある程度の年齢になってくると、自治体から無料で検診を受けることができます。人間ドッグでも見つかることがあります。がんにかかるリスクのある中高年以上の方だけでなく、若者も積極的に受けてほしいです。

小児がんが治っても、その後の後遺症で「晩期障害」を引き起こす方もいますし、新たながんなどを発病する方もいます。小児がんのフォローはある程度の年齢で終了ではなく、大人まで一貫して、長期的なフォローアップが必要です。ぼくは今のところ晩期障害や新たながんなどは発病していませんが、それを予防するために定期検診は毎年受けています。主治医の先生ですが、高校生のときは別の主治医の先生が担当していましたが、大学生のときにその先生が独立開業のために退職してしまい、現在の主治医の先生が担当しています。現在の主治医の先生は小児がんを経験した成人患者のフォローアップを専門としているので、いろいろと相談にのってくれますね。

 

「がん患者」から「がん看護のスペシャリスト」へ。

 

病気を経験したからこそそのつらさがわかりますし、患者の心に耳を傾けることを常に心がけています。

家族や医療スタッフたちに感謝しつつ、いつか後輩たちが「あの看護師のようになりたい」と思えるような、立派な看護師に成長していきたいです!

 

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