梅の実学園の仲間たち

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人気の小説・エッセイ(その4)

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こんにちは。政代(24歳・小学校教師)です。

今日は「人気の小説・エッセイ」をお送りします。

 

今月は「金子みすゞ」をピックアップ!

 

今回は小説やエッセイではなく、詩です。

金子みすゞは1903年から1930年まで活躍した童謡詩人で、多くの作品を残しました。

作品集を紹介します。

金子みすゞ全集

金子みすゞ全集

 

金子みすゞ全集」です。本来なら4作品を紹介するのですが、今回は1作品のみとなります。この全集はみすゞの作品を集めた集大成。

作品の中には代表作として、「私と小鳥と鈴と」「大漁」などが掲載されています。

 

みすゞは1903年、山口県の生まれで、3歳の時に父親を亡くし、母親と実の弟で「劇団若草」の創始者で、劇作家・小説家の上山雅輔(故人)と雅輔の養父(雅輔は幼くして母親の妹(みすゞのおば)と養父の家に養子に出されたが、その妹が死亡してしまった)と暮らすことに。

大正時代末期から昭和初期にかけて、500余りの詩をつづり、1923年9月に「童話」などの4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と称賛されました。

1926年、みすゞは養父の経営する「上山文英堂」の番頭格の男性と結婚し、娘をもうけましたが、夫はみすゞの弟の不仲から、次第に養父に冷遇されるようになり、女性問題を理由に上山文英堂を追われることに。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、夫はみすゞに詩の投稿や詩人仲間との文通を禁じ、みすゞに淋病を感染させるなどをしたことから、1930年に離婚。娘の親権をめぐって、夫と争うことになり、夫への抵抗心から同年の3月10日に、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を残して自殺を図り、26歳の若さで亡くなりました。

 

作品は自然とともに生き、小さな命を慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしがみすゞの詩集の原点となり、その中で「私と小鳥と鈴と」の詩の中で「みんなちがってみんないい」は多くの日本人の心に忘れかけた人間同士の生き方を訴えました。

 

みすゞの死後から約50年後の1984年に矢崎節夫らがみすゞの詩を読んで、遺稿集が発掘され、出版されました。1985年に東京大学の入試問題に採用され、現在では小学校の国語の教科書に採用されました。2003年に生家跡に「金子みすゞ記念館」が開館され、みすゞの少女期の家を復元し、直筆の詩作のメモなどが展示されています。

メディアでは童謡などの音楽として作曲されたり、ラジオ朗読で採用されたり、みすゞの作品の一つの「こだまでしょうか」が「ACジャパン」のCMに採用されました。音楽では「私と小鳥と鈴と」はみすゞの母校の小学校の第二校歌として歌われています。

 

こうして、金子みすゞの作品が現在の日本人に知れ渡り、日本人の心に「みんなちがってみんないい」が実際に行動として広めてほしいと思います。海外でも高く評価をする時が来ると思います。

 

次はどの作家さんの作品を紹介するのでしょうか?次回は年明けの1月にお送りします。

 

というわけで、政代でした。

また明日。さよなら。

 

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