梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

アーティストの音楽(その41)

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こんにちは。功巳(53歳・メーカー勤務)です。

今日は「アーティストの音楽」をお送りします。

 

今月は「西城秀樹」さんをピックアップ!

 

西城さんは日本を代表するアーティストで、70年代のアイドルとして、多くの作品を残しました。

今日はすべてではありませんが、西城さんの音楽を紹介します。

西城秀樹 ベスト 12CD-1059N

西城秀樹 ベスト 12CD-1059N

 

まずは「恋する季節」です。1972年にリリースをしたデビューシングルです(写真はベストアルバム)。西城さんは高校1年の時にR&B喫茶で歌っていたところをスカウトされ、芸能界入りを決意し、上京。当時の芸能事務所だった「芸映」に所属し、高校も地元の高校から「明治大学附属中野高校」・定時制定時制は現在は廃校)に転校しました。「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズで女性に大人気でした。1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りとなり、一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。同時期にデビューした野口五郎さん、郷 ひろみさんとともに「新御三家」と呼ばれていました。

傷だらけのローラ[西城秀樹][EP盤]

傷だらけのローラ[西城秀樹][EP盤]

 

次は「傷だらけのローラ」です。1974年にリリースをしたシングルで、この曲で第16回「日本レコード大賞」で歌唱賞を受賞しました。「情熱の…」以降、次々とヒット曲をリリースし、1973年に「ちぎれた愛」で第15回「日本レコード大賞」・歌唱賞を受賞。「傷だらけ…」は2度目の歌唱賞受賞で、ポップス歌手としては史上初となる2年連続受賞を樹立しました。1974年に第25回「NHK紅白歌合戦」にも初出場。また、TBSのドラマ「寺内貫太郎一家」に出演し、俳優としても活動をはじめました。「寺内…」では主演の小林亜星さんとの親子げんかが多く、そのシーンで実際に骨折をしてしまったエピソードがありました。

YOUNG MAN

YOUNG MAN

 

次は「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」です。1979年にリリースをしたシングルで、これが西城さんの代名詞的ヒット曲となりました。サビのところで「Y・M・C・A」の4文字を全身で表現するパフォーマンスを披露し、これをマネをする人たちも多かったです。1974年から1983年まで10年連続で大阪球場(現:なんばパークス)でのスタジアムコンサートを開催。スタジアムでのコンサート開催は西城さんが初めてとなります。1975年には日本のソロ歌手として初となる日本武道館でのリサイタルを公演し、その後11年連続で開催されました。また、「ザ・ベストテン」では「YOUNG MAN」が番組史上初の9999点(満点)を獲得し、その記録は誰も破られていません。1973年ごろからハウス食品のCMに多数起用され、その中で「バーモンドカレー」は「ヒデキ、感激!!(ヒデキ、ご機嫌!!などのバージョンもある)」のキャッチコピーがお茶の間の人気を呼び、カレーを国民食としての押し上げに貢献しました。

ギャランドゥ

ギャランドゥ

 

次は「ギャランドゥ」です。1983年にリリースをしたシングルです。この時期にスタッフとともに「芸映」を円満退社し、個人事務所を設立しました。「ギャランドゥ」は独立後初となるシングルです。その後も「抱きしめてジルバ」などのヒット曲を多数リリースし、洋楽のカバー曲にも挑戦しました。「NHK紅白歌合戦」では1974年~1984年まで11年連続、「日本レコード大賞」では3度の歌唱賞を受賞、1978年~1983年まで金賞を6年連続受賞、「ザ・ベストテン」では1978年~1985年まで22曲がランクイン。「ベストテン」では放送開始から8年連続の出演で、番組史上最長でした。また、「芸映」在籍中は後進タレントの発掘にも貢献し、特に「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」で河合奈保子さんと石川秀美さんを輩出。実はオーディションの1位の人ではなく、西城さんの強い推しで河合さんらを選んで合格させました。尚、河合さんは「バーモンドカレー」で西城さんと共演しました。

走れ正直者!

走れ正直者!

 

次は「走れ正直者!」です。1991年にリリースをしたシングルで、アニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディング主題歌にもなりました。私生活では長いこと独身を貫いていましたが、2001年に18歳年下の一般女性と結婚し、2002年に長女、2003年に長男、2005年の早生まれに次男が誕生し、順風満帆な生活が訪れようとしていましたが、2003年に公演先の韓国で脳梗塞を発症しました。軽度の言語障害の後遺症が残りましたが、闘病の末に復帰し、2006年にシングル「めぐり逢い」をリリース。この曲がシングルとしては最後となりました。

心響-KODOU- ブックレット付き特別盤

心響-KODOU- ブックレット付き特別盤

 

最後は「心響-KODOU-」です。2015年にリリースをしたアルバムで、自身の還暦を記念したリメイク盤です。最初の脳梗塞発症以降はライブ活動やバラエティ番組出演など精力的に活動しましたが、2011年に2度の脳梗塞を発症。最初の脳梗塞よりも重く、右半身マヒと微細な言語障害の後遺症が残りました。その後は懸命なリハビリを経て、徐々に歩行の状態などが改善されました。2015年に60歳の誕生日に還暦ライブを開催し、不自由な体でありながらも、それを感じさせないパフォーマンスを披露しました。2016年には「新御三家」の野口さん、郷さんとともに雑誌の対談に出演しました。2018年に栃木県内で開催されたコンサートに出演。しかし、このコンサートが西城さんの最期の出演となりました。

西城秀樹さんは2018年5月に急性心不全のために亡くなりました。63歳でした。栃木で開催されたコンサート出演からわずか11日後の4月下旬に自宅で倒れ、緊急入院し、意識不明の状態が続く中、懸命の治療が行われましたが、帰らぬ人となりました。西城さんの訃報を受け、野口さん、郷さんをはじめ、多くの芸能人・有名人が追悼コメントを発しました。西城さんの死後から約1週間後に行われた葬儀では多くの芸能人やファンが訪れ、式中では野口さん、郷さんが涙ぐみながら弔辞を読み、出棺の際には代表曲「YOUNG MAN」が流され、葬儀を訪れたファンが涙で「Y・M・C・A」の振り付けをし、霊柩車が発車する際には代表曲「ブルースカイブルー」が流され、約1万人以上のファンから「ヒデキ!」コールを浴びながら斎場を後にしました。追悼コメントでは芸能関係者だけでなく、ハウス食品の本社から感謝の気持ちを込めた追悼メッセージが発せられました。葬儀では芸能関係者等の参列者には会葬御礼として「バーモンドカレー」が配られ、ファンには「ありがとう」と書かれた写真つきのポストカードが配られました。70年代、80年代では国民的アイドルとして、ヒット曲を次々と連発、ライブでも派手なパフォーマンスとファンサービスを繰り広げました。晩年は脳梗塞との闘いが続きましたが、最後の最後までアーティストとして生涯を終えました。マイケル・ジャクソンが世界の「キング・オブ・ポップ」と称していましたが、西城さんこそが日本の「キング・オブ・ポップ」と称するべき人だと思います。西城さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

次はどのアーティストの音楽を紹介するのでしょうか?次回もお楽しみに。

 

というわけで、功巳でした。

また明日。

 

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