梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

人気のまんが(その52)

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こんにちは。アルベルト(ダルメシアン・♂9歳)です。

今日は「人気のまんが」をお送りします。

 

前回は富永一朗さんを紹介しましたが、今回は富永さんのライバルだった「鈴木義司」さんをピックアップ!

 

鈴木さんは日本のまんが家で、多くの作品を執筆しました。

今日はすべてではありませんが、鈴木さんの作品を紹介します。

おしゃべり胃袋

おしゃべり胃袋

 

今日は「おしゃべり胃袋」を紹介します。刊行時期は明らかにされていませんが、だいたい1980年代ごろだと思われます。

 

鈴木さんは東京で酒屋と質屋を兼業する商家に生まれ、神奈川で育ちました。「東京都立理工専門学校(現:首都大学東京)」を卒業後、「日本銅管」への入社が決まったものの、結核が発見されたため、就職を断念。その後、アメリカのまんがに触発され、自分でまんがを描き始め、雑誌に投稿をし、多く採用されました。その後、作家の吉行淳之介さん(故人)に才能を認められ、1950年に数人の投稿仲間で「漫画エポック」を結成しました。そのグループのメンバーの中に演芸作家の織田正吉さんがいたほか、女優の山岡久乃さん(故人)がマネージャーとなっていました。1953年に「夕刊フクニチ」の時事まんが連載でプロデビュー。1966年に「読売新聞」夕刊に連載された「サンワリ君」がヒットされ、2004年に連載が終了するまで、鈴木さんの代表作となりました。1962年にまんが家のグループ「漫画集団」に加入し、代表を務めました。

まんが家としての仕事の傍ら、1976年に日本テレビ系(中京テレビ制作)のバラエティ番組「お笑いマンガ道場」にレギュラー出演。番組ではいつも蝶ネクタイ姿で登場し、共演者であり、ライバルの富永さんとのまんが対決が見物でした。番組で富永さんが鈴木さんのことを「空地の土管に住んでいる痩せこけた貧乏人」「アホウドリ」「ミノムシ・毛虫」とこき下ろされる一方、鈴木さんは富永さんのことを「恵まれないデブ」「お化けナマコ」「サンショウウオ」などとこき下ろしました。その反対に鈴木さん本人は「札束を投げる大金持ち」という自分自身のキャラを描いていました。鈴木さんと富永さんはこういったお互いをバカにするまんがを描いているので、仲が悪いのかと思われがちですが、実際は「漫画集団」のメンバー同士で、互いに盟友と公言する数十年来の友人でした。

1994年に「お笑いマンガ道場」が終了し、その後は執筆活動に専念。1970年前後から「電気事業連合会」の新聞広告や「東京電力」のパンフレットのイラストなど、原子力発電の広報活動のまんが・イラストも描いていました。晩年は病に侵され、闘病生活をしながら執筆しましたが、帰らぬ人となりました。

 

鈴木義司さんは2004年に悪性リンパ腫のために亡くなりました。75歳でした。同年7月2日の「読売新聞」に連載された「サンワリ君」が最期と作品となり、その連載から15日後に息を引き取りました。鈴木さんの死を受けて、富永さんは「元気になったらまた一緒に「マンガ道場」でもやろうぜと言ってたのに…」と号泣しました。主な受賞は2002年に「日本漫画家協会賞」大賞など。1996年に「紫綬褒章」、2003年に「勲四等旭日小綬章」の称号を受章されました。鈴木さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

次はどのまんが家の作品を紹介するのでしょうか?来年もお楽しみに。

 

というわけで、アルベルトでした。

また明日。

 

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