こんにちは。敬三郎(72歳)です。
今日は「アーティストの音楽」をお送りします。
今月は「森 進一」さんをピックアップ!
森さんは日本を代表する演歌歌手で、多くの曲をリリースしています。
今日はすべてではありませんが、森さんの音楽を紹介します。
まずは「女のためいき」です。1966年にリリースをしたデビューシングルです。森さんは山梨県出身で、母子家庭で育ちました。鹿児島の中学校を卒業後に集団就職で大阪に移住。家族に仕送りをするために10回以上も職を替えていました。1965年にフジテレビの番組「リズム歌合戦」に出場して優勝し、当時の所属事務所だった「渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテイメント)」に所属し、アイドルでデビューをする予定でしたが、個性が弱いことで演歌歌手としてデビュー。その後は立て続けにヒット曲を出し、第19回「NHK紅白歌合戦」に初出場しました。
次は「おふくろさん」です。1971年にリリースをしたシングルで、森さんの代表曲でもあります。1969年に「港町ブルース」をリリースをし、22歳の若さで第11回「日本レコード大賞」・最優秀歌唱賞を受賞、第20回「NHK紅白歌合戦」では出場2回目にしてトリを務めました。1979年に「渡辺プロダクション」から独立し、個人事務所を設立しました。私生活では1980年に女優の大原麗子さん(故人)と結婚しましたが、1984年に離婚。1986年に演歌歌手の森 昌子さんと結婚しました。
次は「冬のリヴィエラ」です。1982年にリリースをしたシングルです。1980年後半ごろからは歌手だけでなく、作曲家としても活動。2005年に昌子さんと離婚し、3人の子どもの親権は元妻の昌子さんとなりました。2000年ごろからはC型肝炎などで闘病生活をしながら音楽活動をしていました。2007年に代表曲である「おふくろさん」で作詞家の川内康範さん(故人)と対立し、「おふくろさん騒動」が勃発しました。2人の確執は表面化され、両者はついに和解に至ることがないまま、2008年に川内さんが病気のために亡くなりました。2008年に森さんと川内さんの遺族が和解し、その騒動に終止符を打ちました。その後第59回「NHK紅白歌合戦」に出演した際に「おふくろさん」を熱唱し、冒頭で川内さんに謝罪をしました。
最後は「北港」です。2018年にリリースをした現時点では最新シングルで、森さん作詞・作曲です。1990年代以降は演歌専門の作曲家だけでなく、様々なジャンルのアーティストの楽曲提供が行われ、主な楽曲提供者は吉田拓郎さん、井上陽水さん、シャ乱Q、細野晴臣さん、松山千春さん、小室哲哉さん…とそうそうたる有名アーティストが森さんの楽曲を作っていました。2015年にデビュー50周年を迎え、第66回「NHK紅白歌合戦」に出場を果たしましたが、この回をもって紅白出場を勇退しました。紅白の出場は通算で48回で、連続出場でした。この記録は五木ひろしさんと並び歴代最長でした。
演歌にとどまらず、J-POPのカバー曲をリリースするなど、固定観念にとらわれないさまざまなジャンルの作品を歌うことを信条としています。歌手活動以外では社会福祉活動「じゃがいもの会」を設立し、海外支援を中心に活動をしています。昌子さんとの間に生まれた子どもさんですが、長男が「ONE OK ROCK」のTakaさん、三男が「MY FIRST STORY」のHiroさんです。
次はどのアーティストの音楽が登場するのでしょうか?次回もお楽しみに。
というわけで、敬三郎でした。
また明日です。
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