こんにちは。容一(37歳・メーカー勤務)です。
今日は「芸人伝説」をお送りします。
今月は「ウッチャンナンチャン」をピックアップ!
ウンナンの気分は上々。 Vol.4 バカルディ(現さまぁ?ず)vs海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)の改名企画 &ナンチャンとデブの旅 [DVD]
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ウッチャンナンチャンは日本を代表するお笑いコンビです。
ウッチャンナンチャンは1985年に「横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)」の同級生だった内村光良さんと南原清隆さんの2人で、学校の漫才の講義で一緒に組んだのがきっかけで結成しました。この時に講師を務めていた内海桂子・好江師匠(内海好江は故人)のすすめで芸能事務所に所属しました。同年に「お笑いスター誕生!!」で優勝し、1988年に「夢で逢えたら」でレギュラー出演し、一躍ブレイクしました。専門学校時代の同期には出川哲朗さんらがいました。1990年代ではとんねるず、ダウンタウンとともに「お笑い第三世代」と呼ばれていました。
芸風としてはコントが中心。ショートコントを流行らせた第一人者で、のちの後輩芸人に多大な影響を与えました。他のお笑いコンビに比べて、ボケとツッコミの役割がはっきりしておらず、両方ともボケもツッコミもこなせるオールラウンダーであります。
1990年に「とんねるずのみなさんのおかげです」の休止に伴い、後番組として「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」がスタート。その後半年間の放送が終了し、時間帯を改めて、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」として再出発し、ドラマやコントなどで高視聴率を上げました。1995年に「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!」がスタートし、番組のコーナーの一つの「電流イライラ棒」や小学生対抗の「30人31脚」は名物となり、「30人31脚」はのちの競技大会として生まれ変わりました。
しかし、「やるなら…」が1993年にコーナー収録中にゲスト出演をしていた香港のロックバンドのメンバーの一人が転落事故を起こし、死亡してしまったため、番組自体が打ち切りとなってしまいました。
結成10年目となった1995年ごろにお互いの話し合いにより、ソロでの活動も始めることになり、近年はコンビでのテレビ出演は減少し、ソロでの仕事が増えてきました。
デビュー当初からバラエティだけでなく、俳優としての活動もしており、どの仕事もオールマイティに活動をしています。個人としては内村さんが映画製作、南原さんが現代狂言やスポーツキャスターもこなしています。コンビとしてのレギュラー番組は現在はなく、スペシャル番組のみに出演するだけです。個人としてのレギュラー番組では、内村さん名義では「世界の果てまでイッテQ!」「内村さまぁ~ず」など6本、南原さん名義では「GET SPORTS」「ヒルナンデス!」など6本。歌手としては内村さんが「ポケットビスケッツ」のメンバーとして、南原さんが「ブラックビスケッツ」のメンバーとしてそれぞれCDを出しています。尚、2人の個人としての活動についてはいつかお送りしたいと思います。
次はどの芸人さんが登場するのでしょうか?次回もお楽しみに。
というわけで、容一でした。
また明日。
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