梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

嗚呼、懐かしの給食

こんにちは。瑞穂(小6)です。

先日まで「学校給食紀行」をお送りしたんだけど、それは現在の給食。

でも給食って、いつから始まったのか、わからないよね。

 

「梅の実」の大人メンバー(30代以上)とともに、昔の給食を振り返ってみましょう!

和樹(小5)も一緒にね。

 

~昭和20年代まで~

最初に給食が始まったのはなんと、明治22年。山形県のある小学校が始まりだったんだ。

この小学校では、今とは違い、経済的に恵まれない子どもたちを対象にしていたんだ。

 

それから戦後に日本全土を襲った食糧危機のために子どもたちの栄養状態は危機的な状況になってしまい、事態の深刻さを見かねたララ(アジア救済公認団体。メンバーの「ララ(ねずみ・♀2歳)」じゃないよ。)は緊急に物資の寄贈を決定した。

そして、脱脂粉乳など外国からの援助により、昭和22年に全員が対象の給食が始まったんだ。

 

~昭和30年代~

パン・ミルク・おかずの「完全給食」スタイルが確立。後に一部の中学校でも給食が始まったんだ。

 

ミルクは「脱脂粉乳」。どんな味?

>とにかくまずかった!!あんなもん、誰が作ったんだ!責任者出て来い!!<`ヘ´>(久代・50歳・保険会社勤務)

脱脂粉乳の膜が気持ち悪かった(>_<) ココアやコーヒー味にしてもまずすぎる。(佐藤・52歳・メーカー勤務)

脱脂粉乳から牛乳に変わったときはうれしかった!(下村・50歳・鉄鋼会社勤務)

大変だったですね…。

 

おかずですが、にんじん、玉ねぎ、じゃがいもを使ったメニューが多かったこと、揚げ物や煮物、汁物が圧倒的に多かったんだ。

設備の関係で仕方がないことですが…。

 

その中で一番人気なのが「くじら」!!

くじらは煮物や揚げ物が多かったらしい。私は食べたことがないけど、どんな味?

>くじらは「竜田揚げ」が一番おいしい!!かめばかむほど味わい深い!大人になった今でも「はりはり鍋」は食べてる。(成田・38歳・会社経営)

>「くじらのやまと煮」や「くじらの竜田揚げ」「くじらのオーロラソースがけ」などのメニューが出たような気がします。私は「オーロラソースがけ」が一番おいしいです。(聡子・41歳・主婦)

>「くじらのノルウェー風」っていうものもあった。ケチャップ味で甘酸っぱくてうまかった。(国見・48歳・メーカー勤務)

へえ~そうなんだ。食べてみたいな(*^。^*)

 

でも、このあと「くじら」のことで問題になったみたいだけど、その前に昭和40年代に行ってみよう!

 

~昭和40年代~

この頃から「カレー」が初めて登場したよ!!

でも昭和30年代にも「カレー」が出ていたんだけども、「カレースープ」とか「カレー汁」といった薄い汁が主流だったんだ。

今のような「シチュー」スタイルになったのはこの年代。この「カレーシチュー」が登場したことで残飯が減ったんだ!!

私も和樹も大好き!!

その当時のみなさんはどうだった?

>大好きだった!!いつもおかわりしていた!!(美藤・34歳・商社勤務)

>パンと一緒にカレーシチューが一番好相性!!(日出子・35歳・メーカー勤務)

>パンとのコンビも好きだけど、「ソフトめん」のコンビが一番好き!(時枝・33歳・主婦)

 

「ソフトめん」!?

私の学校では「ソフトめん」っていうのはないんだけど、一体何?

>ぼくもよくわからないけど、実はこの「ソフトめん」、当時の子どもたちに大人気のメニューだったんです。ソフトめんは袋のまま給食へ運んできて(殺菌処理をしています)、袋を破って、カレーやミートソースにかけて食べるんです。(和樹)

え~つ!!何かめんどくさいよ~(>_<)

 

あと、「揚げパン」も大人気メニューだったんだよ。一番人気は「きな粉味」だったんだとか。

このほか、「ソース焼きそば」や「魚のフライ」「豚汁」「フルーツポンチ」「プリン」などの人気のおかず、デザートも出たんだ。

でもそれらと引き換えに「脱脂粉乳」はなくなってしまい、代わりに現在の「牛乳」になったんだ。

 

~昭和50年代~

さっき「くじら」のことでお話したんだけど、「くじら」はアメリカや一部のヨーロッパらが環境保護を理由に捕鯨禁止になったんだ。日本は反対したんだけど、欧米の言うことには逆らえず、ついに給食から「くじら」が消えてしまった。(でも調査捕鯨はやっていて、一部のくじら料理店で食べられるみたいだけど、どうなんだろう?)

代わりにご飯が登場!!その後、米飯給食は週に3~4回へと増えていったんだ。やはり日本人はご飯だね。

 

~昭和60年代から平成以降~

おかず自体は40年代以降変わらないものが多いんだけど、「いかめし」や「きしめん」「ゴーヤーチャンプルー」など、日本の郷土料理が登場したり、学校の教室内に「ランチルーム」なんてものが設置したんだ。バイキング方式も増えたんだ。

それらとは反対に、ダイエットをする子や、家庭で食事をしない子(ていうか、親が食事を作らない)などが増えてきたり、食材の生産地や作り方を知らない子が増えたり…という問題が増えてきたんだ。

 

私たちのところもそうだけど、「食育」っていうのが今始まったんだ。

例えば、自分たちで米や野菜を作って、それを給食を作って食べたり、親や地域の人たちが給食のメニューのレシピを学んだり、子どもたちが栄養バランスの勉強をしたりと、「食」の大切さをみんなで学んだりするんだ。

そして、給食を支えている栄養士(または管理栄養士)さんは「栄養教諭」として、献立の作成や調理の指導だけでなく、子どもらの「食育」を教える立場になったんだ。

 

昭和30年代までは「量」、昭和40年代~50年代までは「質」、そして、昭和60年代から現在は「心」「育」へと変わっていったんだ。

「心」は子どもの心を満たすため。例えば、子どもの心の病(うつや「キレる子」など)を治すまではいかなくても、それをリフレッシュしていけるようになったら、と。

「育」はさっき言った「食育」。食料自給率を上げるだけでなく、食の大切さを学ぶこと。

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給食はなくなることはないけど、いろいろなスタイルは変わっていくと思う。

最後に、「毎日ご飯が食べられることに感謝!!」

 

*参考文献*

なつかしの給食(アスペクト編集部編) アスペクト出版

なつかしの給食・献立表(アスペクト編集部編) アスペクト出版

 

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