梅の実学園の仲間たち

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アスリート伝説(その8)

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こんにちは!海司(小5)です。

今日は「アスリート伝説」をお送りします。

 

今月は「イチロー」さんをピックアップ!

イチローさんは日本を代表するプロ野球選手・メジャーリーガーで、数々の記録を更新しました。

 

イチローさんは愛知県に生まれ、小学生の時に野球をはじめました。高校は地元強豪校の「愛知工業大学名電高校(愛工大名電)」に進学し、1年生でいきなりレギュラーを獲得しました。2年生の時に夏の高校野球に出場し、3年生の時に選抜高校野球に出場しましたが、いずれも初戦敗退で終わりました。尚、3年生の時の選抜高校野球では野手ではなく、「投手」として出場しました。そして、1991年のドラフト会議でイチローさんは中日を希望していましたが、ドラフト4位でオリックスブルーウェーブ時代)に入団しました。

 

1992年7月に対ダイエー(現:ソフトバンク)戦で守備固めとして1軍に初出場。その後は不調が続き、2軍生活を余儀なくされました。1994年にそれまでの登録名だった本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。苗字を除いた名前での選手名登録は日本人選手では初で、それ以降は巨人を除く11球団で名字なしの名前の登録名の選手が増えてきました。この年から監督となった仰木 彬さん(故人)はイチローさんの類まれな打撃センスを見抜き、即座に1軍に呼び、2番打者に抜擢。4月末から1番打者に定着し、その後はレギュラーとして活躍しました。同年9月に日本プロ野球史上初となる「シーズン200本安打」の偉業を達成しました。最終的に210本まで安打を伸ばし、この活躍で安打が話題になり、同年から「最多安打」の表彰タイトルができました。このほか、首位打者、最高出塁率ベストナインゴールデングラブ賞正力松太郎賞を獲得し、打者としては日本プロ野球史上最年少でシーズンMVPを獲得しました。

しかし、1995年に「阪神・淡路大震災」が発生し、オリックスの本拠地である神戸が壊滅的被害に遭い、イチローさん自身も他の選手とともに神戸市内にあるオリックスの寮で被災しました。この年のオリックスは「がんばろうKOBE」を合言葉にスタートしました。イチローさんは震災からの復興を目指す「神戸のシンボル」的存在として大活躍し、チームとしては悲願のリーグ優勝を果たしました。イチローさん個人としても、首位打者打点王盗塁王最多安打、最高出塁率を獲得し、「打者五冠王」に輝きました。また、打点王盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初で、誰も破られていません。1996年にはリーグ連覇を果たし、その後、1977年の旧阪急時代以来19年ぶりの日本一に輝きました。

オリックスでは1992年~2000年まで活躍し、通算で951試合出場、4098打席、1278安打、118本塁打、打点529、199盗塁、打率3割5分3厘、ベストナインゴールデングラブ賞はそれぞれ7回で7年連続、正力松太郎賞は2回、シーズンMVPは3回を獲得・受賞しました。2000年シーズン終了後にポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ挑戦の意向を表明し、マリナーズに移籍し、日本人野手初のメジャーリーガーとなりました。

 

マリナーズでは当初の予想を覆すかのように活躍し、現地時間の4月から5月にかけて2ヶ月連続で月間新人MVPを受賞。1996年にアレックス・ロドリゲスさんが記録した球団最多安打記録の215安打を更新し、再び8月と9月に月間新人MVPを受賞し、チームの地区優勝に大きく貢献しました。また、1930年のビル・テリーさん(故人)以来となるシーズン242安打を放ち、新人王、MVPなどを獲得しました。その後も順調な活躍が続き、2004年には日米通算2000安打を達成しました。同年10月には84年間破られることのなかったジョージ・シスラーさん(故人)のメジャー歴代シーズン最多安打記録の257安打を更新し、最終的には262安打でシーズン最多安打記録を更新し、この記録は誰も破られていません。2005年はメジャー通算1000安打を達成しましたが、最終的には自己ワーストの206安打、3割3厘と不本意なシーズンでした。

2006年にWBCワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表に選ばれ、決勝まで活躍し、マリナーズでは見られなかった感情・闘志むき出しのプレイを見せ、初優勝に貢献しました。

2007年に41連続盗塁成功を達成し、シーズンをまたいでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新しました。2008年はメジャー通算300盗塁を達成、日米通算500盗塁を達成したものの、メジャー8年目で初めて打率が3割を切りました。

2009年は2大会連続でWBCの日本代表に選ばれ、絶不調の状態ながらも日本の連覇に大きく貢献しました。しかし、WBC終了後にマリナーズに合流し、WBCの影響で体調を崩し、精密検査の結果、胃に出血性の潰瘍が認められ、自身初の故障者リスト入りとなりました。その後復帰し、27試合連続安打、メジャー通算2000安打、9年連続200本塁打を達成しました。2010年にはメジャー通算1000得点を達成。さらに10年連続200本安打を達成しました。その後は不振に陥り、2012年にD.J.ミッチェル選手とダニー・ファーカー選手とのトレードでヤンキースに移籍しました。

ヤンキースに移籍後はメジャー通算100本塁打で、移籍後初本塁打を記録しました。最終的には地区優勝に貢献し、自身初のシャンパンファイトを経験しました。2012年に開催されたWBCでは代表参加辞退を表明しました。2014年にはFAとなり、2015年にマーリンズに移籍をしました。

マーリンズ移籍後は思ったような成績が伸びず、スランプに陥りましたが、2016年に日米通算700盗塁を達成。日米通算4257安打を達成し、プロ野球における通算最多安打数の世界記録としてギネスに認定されました。同年8月には史上30人目のメジャー通算3000安打を達成し、日本人・アジア人初の快挙となりました。2017年には日米通算5863安打を達成し、王 貞治さん(現:ソフトバンク球団会長)が持っていた日本記録を日米通算で塗り替えました。しかし、2018年における契約オプションが行使されず、マーリンズを退団しました。

2018年2月時点で所属球団が決まらず、日本で自主トレーニングをしていましたが、3月に1年契約でマリナーズに復帰しました。5月にマリナーズと会長付特別補佐である「スペシャルアシスタントアドバイザー」の契約を結び、今季の残り試合は出場しないことを発表され、プロ入り27年目で初の0に終わるなど、連続記録も途切れました。2019年にマリナーズマイナー契約を結びましたが、のちにメジャー契約に切り替わりました。45歳でのメジャー開幕戦先発出場は野手2番目の年長記録となりました。その後開幕シーズンとなる東京ドームで行われた対アスレチックス戦が現役での最後の試合となりました。

 

イチローさんは2019年3月に対アスレチックス戦の出場を最後に現役引退を発表しました。試合終了後は東京ドームを一周し、その際には試合を最後まで観戦した多くのファンが球場に残り、選手としての最後の姿を見届けました。引退後については明らかにされていませんが、マリナーズで何らかの役職に就くとされています。メジャーでの通算記録は2653試合出場、10734打席、3089安打、117本塁打、打点780、509盗塁、打率3割1分1厘でした。日本とアメリカで約20年間プレーし、数々の記録を更新した、日本を代表する選手でした。本当にお疲れ様でした。

 

次はどの選手が登場するのでしょうか?次回は8月にお送りします。

 

というわけで、海司でした。

バイバ~イ(^_^)/

 

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