梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

芸人伝説(その5)

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こんにちは。元樹(40歳・芸能プロダクション勤務)です。

今日は「芸人伝説」をお送りします。

 

今月は「木村 進」さんをピックアップ!

同情するなら笑ろうてくれ―車椅子からもう一度舞台復帰を目指して (カッパ・ブックス)

同情するなら笑ろうてくれ―車椅子からもう一度舞台復帰を目指して (カッパ・ブックス)

 

木村さんは日本のお笑い芸人で、かつては「吉本新喜劇」で活躍していました。

 

木村さんは福岡出身で、共に喜劇役者で、祖父が初代の博多淡海さん(故人)、父親が2代目の博多淡海さん(故人)という、芸能一家でした。高校中退後に16歳で父親の劇団である「淡海劇団」に入門し、「博多小淡海」を名乗りますが、次第に親の七光りという重圧に耐えかね、19歳の時に父親の許可を経ずに「吉本興業」に転籍。このため、しばらくの間は親子絶縁状態が続きました。

その後、下積み生活を経て、23歳の若さで「吉本新喜劇」の座長となりました。1970年代中盤から1980年代前半は新喜劇だけでなく、関西のテレビでは木村さんが出ない日はないというくらい引っ張りだこでした。新喜劇のメンバーでもあり、晩年の盟友でもある間 寛平さんともに新喜劇を引っ張っていました。

 

役としては主に「オカマキャラ」として人気を博し、おばあちゃん役が定番でした。

 

しかし、1985年以降は新喜劇自体がマンネリ化し、事務所からの要請もあり、父親の跡を継ぐために、1987年に3代目の「博多淡海」を襲名。新喜劇の仕事の傍ら、全国各地で襲名披露公演を行いましたが、1988年に最終公演地である故郷の福岡で倒れ、「脳内出血」と診断されました。その後、一命を取り留めるも、左半身に重い障害が残り、歩行ができなくなりました。その結果、新喜劇を退団し、事務所も退社しました。同時に3代目の「博多淡海」の名跡を自ら返上し、表舞台から姿を消すこととなりました。

しかし、1999年のなんばグランド花月で行われた寛平さんの舞台「間寛平芸能生活30周年記念公演」でゲスト出演し、この時に電動車いすに乗っての出演となりました。この頃から寛平さんとはドラマや映画で共演することが多くなり、短い出演期間でありながら、たびたび障がい者の役を演じ、話題になりました。

その後、「木村進劇団」を設立し、障がい者施設への慰問などを中心に活動しましたが、2019年に帰らぬ人となりました。

 

木村 進さんは2019年に腎不全のために亡くなりました。68歳でした。その後、通夜・告別式が大阪府内で営まれ、寛平さんをはじめ、池乃めだかさん、末成由美さんら、新喜劇のメンバーや関西を代表する芸人や落語家らが参列しました。喜劇役者の息子として期待されるも、父親に何も言わずに吉本新喜劇の芸人に転向し、人気を博しましたが、父親や祖父に代々伝わる芸名の襲名披露公演後に病で倒れ、波乱万丈の人生でした。木村さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

次はどの芸人さんが登場するのでしょうか?次回もお楽しみに。

 

というわけで、元樹でした。

また明日。

 

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