梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

アスリート伝説(その17)

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こんにちは!山司(中1)です。

今日は今年最後の「アスリート伝説」をお送りします。

 

今月は「高木守道」さんをピックアップ!

高木さんは日本のプロ野球選手・監督でした。

 

高木さんは岐阜県出身で、中学生で野球をはじめ、高校は地元の名門「岐阜県立岐阜商業高校」に進学。当初はショートでしたが、肩を痛めてセカンドに転向しました。高校時代に当時大学生だった長嶋茂雄さん(現:巨人終身名誉監督)を野球部の特別コーチとして招へいされ、長嶋さんからセカンドの選手として高く評価され、長嶋さんを目標に野球人生を歩むことになりました。1957年に夏の高校野球、1959年にセンバツ高校野球に出場しましたが、思ったような結果が出ませんでした。高校卒業後は大学に進学することが決まっていましたが、高校生離れのプレーを高く評価され、1960年に中日に入団しました。

 

1962年5月の大洋戦で1軍昇格し、代走として初出場を果たしました。その後そのまま守備に就き、打席で初打席初本塁打を打ちました。1963年にレギュラーになり、50盗塁を記録して盗塁王を獲得。1965年、1973年と3度の盗塁王に輝きました。打撃も1969年に通算236本塁打を記録し、守備ではバックトスなどを披露しました。

しかし、1968年5月の巨人戦で顔面に死球を受け、一時は意識不明となり、その影響で体に痛みが残り、長期にわたる打撃低迷を余儀なくされました。

1974年にプロ15年目にして初のリーグ優勝を経験。1975年に中日の生え抜き選手としては初となる通算2000本安打を達成しました。しかし、1980年に現役を引退しました。

1960年~1980年までに出場した通算記録は2282試合出場、9110打席、1120得点、2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁、434四球、819三振、打率2割7分2厘でした。また、初打席初本塁打を記録した選手で、通算で200本塁打、2000安打を記録した選手は高木さんが初めてで、通算で200本塁打、200犠打を併せて記録した選手も高木さんが初めてでした。

 

引退後の1981年からコーチや2軍監督を経て、1991年に星野仙一さん(故人)の監督辞任を受け、後任として中日の監督に就任しました。1993年に2位になったものの、1992年は最下位、1994年にリーグ優勝目前に敗戦となり、1995年にチームの成績不振の責任を取り、シーズン途中で監督を辞任しました。

その後は野球評論家として活動しましたが、2011年に落合博満さんの監督辞任を受け、2012年に2度目の中日監督に就任しました。2012年は2位に終わったものの、以降は低迷し、2013年は4位に終わり、中日の低迷期が続きました。また、投手コーチだった権藤 博さんとの対立があり、2013年に監督を退任しました。

晩年は少年野球の指導をしたり、テレビやラジオに散発的に出演していましたが、2020年に帰らぬ人となりました。

 

高木守道さんは2020年に急性心不全のために亡くなりました。78歳でした。2月に愛知県内のイベントに出席する予定でしたが、それを叶うことができませんでした。選手・監督を通じて中日一筋でプレー・指導をし、選手としては数多くの記録を更新しました。その一方で先輩や監督、コーチであっても徹底的に怒り、反骨する骨太さを持っており、自身を「暴走老人」と言うことがありました。2006年に野球殿堂入り。高木さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

次はどの選手が登場するのでしょうか?次回は来年の2月にお送りします。

 

というわけで、山司でした。

バイバ~イ(^_^)/

 

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