梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

病から学んだ勇気

こんにちは!良平(小5)です。

ぼくは静岡に住んでいます。サッカーが大好きなイマドキの小学生です。

 

さて、この日は病院の定期検診の日。

場所は地元にある「慶明大学附属浜松病院」。東京にある「慶明大学附属病院」の姉妹病院でもあります。

病院ではお母さんの綾美(39歳・司法書士)に付き添われて来ました(^_^;)

病院では待ち時間が長いので、本を読んで暇つぶし。

 

そして、やっと出番がきました。

診察室には主治医の伊原先生(40歳・小児科医)がいました。

伊原「こんにちは。体調はどう?」

良平「はい。いつもと変わらず大丈夫です。」

伊原先生がお母さんにいろいろ質問をした後、早速診察開始!

伊原「はい、大きくお口を開けて。あ~ん。」

良平「あ~ん。」

と、のどの奥を見てもらい。

伊原「はい、大きく息を吸って…はいて…。」

と、聴診器でぼくの胸やお腹をさわって調べたり。

その後、血液検査やCT検査などをこなしました。

結果は…。

伊原「今回も問題なし!次回の定期検診まで様子を見ましょう。」

良平「ありがとうございます!」

その後、会計を済ませた後、近くの薬局で薬をもらって帰りました。

綾美「良ちゃん(良平のあだ名)はいつの間にか強くなったね。」

良平「え?そうかな?いつものことなんだけどね~(#^.^#)」

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お母さんにそう言われて、ちょっと照れていましたが。

 

あ、病院の件ですね。実は大きな病気にかかっていたんですよ。今日はそのことを話しますね。

 

~2年前~

ぼくの家はお父さんの正平(39歳・中小企業診断士)とお母さん、お兄ちゃんの晃平(高2)、ぼくの4人家族。

お父さんとお母さんは同じ大学の同級生。大学で知り合い、なんと!できちゃった婚をしました。まだ大学4年生だったため、入籍だけ済ませて、卒業後に結婚式を挙げました。双方の親(ぼくにとってはおじいちゃん・おばあちゃんですが)が反対しなかったのもすごいですが(^_^;) 後にお兄ちゃんが生まれました。

大学卒業後はお父さんは現在の地元のコンサルティング会社に就職をして、中小企業診断士として、経営者たちの相談をしています。お母さんは出産後に別の司法書士事務所に就職し、子育てをしながら司法書士をしていました。

お兄ちゃんが生まれてから6年後にぼくが生まれました。

それまでは順風満帆で幸せな日々を過ごしていました。

 

しかし、ぼくが6歳のとき、ぼくの体に異変が起こりました。

幼稚園で急に熱が出て、お母さんがあわてて仕事が終わってやってきました。

お母さんはぼくを連れて家に帰りました。

幼稚園の制服からパジャマに着替えようとしたところ…。

綾美「あれ…?良ちゃんの体にあざが…。」

お母さんはぼくの腕や足などにあざのようなものを発見しました。

お母さんはこれはおかしいと思い、近くの小児科クリニックへ。

先生に診てもらったところ、血液の病気の疑いがあることで、「慶明大学附属浜松病院」へ紹介状を作ってくれました。

後日、お母さんと一緒に「慶明大学附属浜松病院」へ。そこの小児科で、現在の主治医の伊原先生と知り合いました。

お母さんがぼくの病状を説明し、早速診察。お腹などをさわった後に…。

伊原「ちょっとチックンするよ。」

と、先生が注射器を出しました。

良平「え?いやだ…怖いよ~!!」

綾美「大丈夫よ。すぐ終わるからね。」

先生はぼくの腕を注射し、血液を採取しました。

良平「痛い…(T_T)」

伊原「良平くん、えらかったね。この血液を検査するからね。あ、お母さん、息子さんを今日から入院させてください。」

綾美「え?入院ですか?」

伊原「はい。くわしいことはあとで説明します。」

と、ぼくは急きょ入院することになりました。場所は小児病棟。赤ちゃんから中学生まで、大きな病気で入院している子どもたちがいます。

ぼくが入院するベッドは8人収容の大部屋。ぼくと同世代の子どもたちがいました。

入院自体も初めてだし、大きな病気になっているんじゃないかの不安がありました。

お父さんもやってきて、お母さんとともに先生の説明を聞くことに。ぼくを除いて。

暫定的な結果は「白血病」の疑いがあること。後日、大きな検査の結果で分かるとのことです。

 

数日後、ぼくはタンカーに運ばれて手術室へ。

手術室のベッドでうつぶせになり、青いシートに敷かれました。シートには穴が開いていました。

伊原「良平くん、これから腰に大きな注射をするからね。ちょっと痛いけどがまんするんだよ。」

え?腰に注射!?すごく不安になってきました。

先生たちは腰の部分を消毒をし、注射を開始しました。

”グサッ”

良平「痛ああーーっ!!あーーーーつ!!!」

動かさないように、男性の看護師さんが押さえていましたが、すごく痛くて大泣き…(T_T) 女性の看護師さんが「深呼吸をして」と言われて、深呼吸をしたものの、あまりの痛さにそれどころではなかった…(T_T)

しばらくして注射は終わりましたが、終わった後は大泣きしました。病室に戻ったけど、背中がまだ痛い…(T_T)

 

そして、お父さんとお母さんだけ呼び出されて、先生が全体の検査の結果がわかったので、結果を報告しました。

結果は「急性リンパ性白血病」でした。「白血病」は血液のがんで、子どもから大人まで誰でもかかる病気ですが、「リンパ性」のものは子どもに多い白血病です。反対に「骨髄性」の白血病もありますが、こちらは大人に多い白血病です。

先生は今後の治療方法について、お父さんとお母さんに説明しました。そして、病気の告知についてはぼくが大きくなってから話した方がいいと言われましたが、お父さんは…。

正平「息子への告知は私たちのほうから話します。」

と、先生にそう言いました。

 

それからしばらくして、お父さんがやってきました。お母さんも一緒です。

正平「良平、今からお父さんの言うことを聞いてほしいんだ。」

良平「え?何?」

正平「お前の病気のことなんだけど、「白血病」という血の病気なんだ。」

良平「白血病…?」

正平「そう。正式には「急性リンパ性白血病」と言うんだけど。簡単に言うなら、お前の体に大きな病気の細胞がいるんだ。原因自体は明らかにされていないんだ。これから、その大きな病気の細胞をやっつけるために、強い薬などで治したりするんだ。」

良平「ぼく…死ぬの…?」

正平「そんなことはない!!早めに治療すれば必ず治るから、大丈夫だ!!これから先生と看護師さんの言うことをよく聞いて、病気をやっつけよう!お父さんとお母さんは良平のそばについてやりたいけど、お父さんもお母さんも仕事がある。家族の生活のことやお前の治療のお金もあるし、お兄ちゃんも中学受験で一緒についてやらないといけない。でも、できるかぎり、どちらかが一緒にそばについてやるから!」

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ぼくは泣きました。ぼくが泣いているのを、お父さんが抱きしめました。

でも、6歳という年齢で「白血病」という大きな病気を告知をされるのって、考えられないですよね。普通の親では。

しかし、うちの親はちょっと変わっていますね。

あとで分かった話なんですが、先生から病気を告知された後、お父さんとお母さんは白血病という病気を調べるために、大学病院内の図書館で調べ物をしていたんです!ぼくにわかりやすく説明できるように、夫婦であれよこれよと手探りで調べていたんです。中小企業診断士の父親と司法書士の母親という、法律の専門家ならではなんですが。でも、告知されたことはその当時はショックでつらかったですが、今はとても感謝しています。本当の病気がわからなかったら、何も知らないまま治療をする羽目になってしまいましたから。

その後、お父さんはぼくの病気のことについて、お兄ちゃんにも告知しました。お兄ちゃんもショックを受けましたが、良平のためならがまんするって言ってくれました。

 

数日後、ぼくの治療が開始しました。お父さんとお母さんは交代でぼくの面会に来る約束をしました。それと同時にお兄ちゃんのこともお父さんとお母さんが交代で面倒を見ることに。ふだんはぼくの世話は担当の女性の看護師さんが見ることになりました。

治療は抗がん剤という薬を投与します。入院時は注射や点滴を打ちますが、退院時と一時帰宅時は飲み薬を飲みます。

先生が抗がん剤の点滴を打ちました。ちょっと痛かったけど、こないだの腰の注射よりはまし。この抗がん剤の点滴を長時間行います。これを毎日。

最初は全然平気でしたが、しばらくして吐き気や腹痛の症状が出始めました。

そして、もっとひどかったのが、髪の毛が抜けてしまったこと。吐き気や腹痛でも苦しいですが、髪の毛がごっそり抜けるのが子ども心にショックを受けました。

気が付くと髪の毛が全部なくなりました。お母さんが治ったら髪の毛はちゃんと生えてくるよって言ってくれたので、少し安心。同じ病室にいる子どもたちの中にも髪の毛がなくなって帽子をかぶっている子もいました。

しばらくすると、卒園式を迎えられないまま幼稚園を卒園し、後日お母さんが卒園証書を幼稚園からもらいました。小学校も入学式に出れませんでした。一応ランドセルは買ってくれたんですけどね。

お兄ちゃんは地元と愛知の私立中学受験に失敗し、地元の公立中学に進学することに。お兄ちゃんはすごく悔しがっていましたが、ぼくの病気のことでお金がかかるから、逆に落ちてよかったって言いましたけどね。そのお兄ちゃんは、3年後には高校受験が待っています。

小児病棟ではぼくが小学校の入学式に出れなかった代わりに病棟の看護師さんたちが子どもたちと集まって、ささやかな入学式をしてくれました。このときはぼくもお父さんもお母さんもうれしかった。

病室内にいる子どもたちとも仲良くなれました。院内学級で一緒に勉強したり、病室内で遊んだりしました。しかし、仲良しだった子はのちに容体が急変してそのまま亡くなった子もいました。相手の子が亡くなったのを目の当たりにしたことがあるので、その時はベッドで泣きましたね。仲良くなった子が亡くなったことをこの日は面会当番だったお父さんが来て、一緒に泣いてくれました。反対に別の子が元気になって退院した子もいました。

 

治療を続けて数か月、病気が完治しました!

退院の許可が出たので、通院をしながらおうちで生活することになりました。

久々のおうちに何だかうれしくなり、久々に会ったお兄ちゃんと遊んでいました。

ご飯も久しぶり。病院食もおいしかったけど、やっぱりお母さんが作るご飯の方が一番おいしい!

その後は学校にも復帰し、授業にも参加しました。髪の毛がないことでからかわれたことがありましたが、すぐに友達もできました。

家族そろってお出かけにも行きました。近場へ旅行をしたり、おいしいものを食べたり、遊園地で遊んだりと、とても楽しかった。

 

しかし、2年生になった冬に、病院から連絡があり、再び入院することに!

先生はお父さんとお母さんを呼んで病状を説明。結果は病気が再発したとのことです。

再び抗がん剤による点滴治療です。それと同時に骨髄移植か臍帯血(さいたいけつ)移植が必要との宣告を受けました。

骨髄移植は他の人の骨髄から採取した液体を移植すること、臍帯血移植はお母さんが赤ちゃんを産んだ時のへその緒から採取した液体を移植すること。この双方を総称して「造血幹細胞移植」という臓器移植の一種です。しかし、どちらもそう簡単に移植にたどり着くことができません。

お父さんとお母さんは自分たちの血液を検査して、ぼくの体に適合できるかを調べてもらいましたが、結果は適合されませんでした。お兄ちゃんも一応血液の検査をしてもらいました。骨髄移植はきょうだいの方が適合される確率が高いからです。しかし、結果は適合されませんでした。

最後は骨髄バンクと臍帯血バンクでドナーを探す以外ありません。

日本では骨髄と臍帯血のドナーが少なく、多くの人たちが移植を待っています。海外ではドナーの数が多いので、すぐに移植ができる体制が整っていますが。

しかし、お父さんとお母さんはあきらめませんでした。友人・知人などからドナー探しを行いました。

 

そして、3年生になった春に運よく骨髄移植のドナーが見つかりました!!

お父さんは先生の説明を通じて、ぼくに教えてくれました。

骨髄移植を受ける際には完全な無菌室に移して、いつもより強い抗がん剤を大量に投与することと、放射線治療を受けてがん細胞を完全に死滅すること、このほか過酷な治療を受けることを覚悟することと言われました。

ぼくはこの病気が治るんだったら、がんばると決意しました。

 

骨髄移植の1週間前に無菌室の病棟に移動。無菌室の中は先生や看護師さん以外は入ることができないので、家族の面会は限られていました。

先生と看護師さんは全員白い服に白い帽子、白いマスクをつけていました。家族との面会も同じような服に着替えないといけないです。

治療は強くて苦い薬を飲まないといけないし、点滴も長時間ずっと。放射線治療は目には見えないですが、機械で全身に放射線を浴びるので、治療を受けている途中で気持ち悪くなったりと、すごく苦しかったです。

お父さんとお母さんは限られた時間内でぼくのところへ来てくれました。窓越ししか顔を合わせることができないですが、それでもうれしかったです。

 

そして1週間後、ドナーの方からの骨髄液が病院へ到着し、骨髄移植の日がやってきました。

伊原「良平くん、骨髄液が届いたから、これから移植をするからね。全然痛くないからがんばろうな!」

良平「うん。」

骨髄移植は一応「手術」なんですが、見た目は完全に点滴や輸血と同じ。点滴のように静脈を通じて骨髄まで入れます。

伊原「どう?」

良平「…あったかい…気持ちいい…。」

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先生たちは骨髄液の動向を見ながら、ぼくの体をチェックしました。

そして、骨髄移植が終了しました。骨髄移植後の血液型は生まれた時の血液型からドナーが持つ血液型に変わりますが、ぼくが生まれた時の血液型はB型。しかし、相手のドナーの血液型もB型なので、血液型自体は変わりません。

骨髄移植はすぐに成功したわけではなく、移植した骨髄液が体内で正常に作られているかどうかがわからないと、成功したとは言えません。

無菌室では1週間以上はいましたね。骨髄移植が終わった後も過酷な治療をこなしました。

 

骨髄移植から1か月を過ぎて、ぼくの体が正常に血液が作られていました。成功です!!

そして、無菌室から出た後、すぐに家族との再会。

良平「ただいま!」

正平「良平、よくがんばったな!!」

お母さんは泣いていました。

無事に病室に戻りましたが、この後もっと過酷な治療が待っていたのです!!

 

病室に戻ってから数日たって、発熱や下痢、発疹などが出てきました。「GVHD(移植片対宿主病)」という、移植後に体の中を攻撃する合併症の症状です。この症状がすごくつらく苦しかった。最初の抗がん剤の治療よりも。

あまりの苦しさに死にそうになりました。先生たちが懸命に治療をしてくれたことで、1週間後には奇跡的に乗り越えました。

お父さんとお母さんがずっと病室の外で待っててくれて、ぼくの意識が戻ったときは2人とも泣いていました。そして、ぼくの体をぎゅっと抱きしめました。

 

それから1か月後、最後の検査の結果、今度は本当に完治しました!!

伊原「これまで本当によくがんばったな。もう大丈夫だよ。」

と、先生の言葉を聞き、これまでたまっていたものが爆発して、大粒の涙が出ました。お父さんからの約束で、治るまでは絶対に泣いたらダメだって言われましたから。それが、つらい治療から解放されていっぱい泣きました。

ぼく、こう見えて泣き虫で気が弱い性格だったんです。病気のことでずっとがまんしていました。でも、家族や先生たちの励ましでここまで乗り越えることができました。

高校受験のためにほとんど顔を出すことがなかったお兄ちゃんがぼくを抱きしめました。

良平「う、う、わあーーーーん!!!」

晃平「がんばったな。お前すごいよ。今度はオレががんばるから。」

お兄ちゃんの胸で大声で嗚咽しましたね…。人生で一番泣きました。

お父さんも、お母さんもつられて泣きました。

 

しばらくして無事に退院しました。

退院しても他の病気にかかる恐れがあるため、毎月の定期検診は欠かさず受けることと、「免疫抑制剤」という薬を飲まなければならないことです。「免疫抑制剤」は臓器移植を受けた患者さんは必ず飲まなければならないです。骨髄移植も臓器移植の一種なので、免疫抑制剤の服用は必須。

退院後は自宅療養をしながら遅れている勉強をしました。それから1か月後に学校に復帰しました。

 

あれから2年。完治から5年はたっていませんが、経過は順調です。治療中までなくなっていた髪の毛はちゃんと生えてきて、今はサラサラのきれいな髪になりました~。

お父さんは現在の職場でコンサルタントの仕事をしています。1年前に行政書士の資格を取り、行政書士の仕事も兼務しています。

お母さんはぼくの退院後に前の事務所を退職し、のちに現在の司法書士事務所に転職しました。今の事務所では今話題の(?)借金問題を専門に、多くの法律の相談を担当しています。

お兄ちゃんは高校受験で第1志望だった今の公立高校に進学。部活ではぼくと同じサッカーをしています。

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ぼくですが、5年生になり、学校に復帰した小3のときに現在のサッカークラブに入っています。現在は5年生以下チームのキャプテンに就任し、チームのまとめ役をしています。泣き虫だった性格は、病気を通じて泣かなくなりました。困難に立ち向かう勇気と強さを病気から学びました。

夢はサッカー選手が第1目標ですが、もう一つの夢が看護師になること。入院した時は女性の看護師さんと接することが多かったのですが、病院内には男性の看護師さんもいました。外来ではたまに男性の看護師さんと遭遇することがあるので、その看護師さんと会っているうちに、女性とは違った話しやすさがありました。将来は病院の看護師を経験してから、スポーツの現場でのメディカルサポートに挑戦してみたい。ま…その前に勉強をがんばらないとね。

 

白血病は他のがんと同様、早期発見・早期治療が大事です。ぼくの場合はお母さんが異変に気づいたことで、比較的早く発見できました。

しかし、子ども・大人とともに多くの白血病患者の方が亡くなっています。骨髄移植や臍帯血移植の後に亡くなった方もいれば、それらの移植も受けることができずに亡くなった方もいます。骨髄移植等の造血幹細胞移植以外の新しい治療法も登場していますが、造血幹細胞移植のドナーは海外に比べて少なく、多くの方のドナーを増やす啓発をしなければなりません。

白血病が完全に治っても、治療時の後遺症も残る場合があります。一番多いのが不妊。大人になってから、女性は出産ができなかったり、男性は赤ちゃんを作る精子がなくなることは避けては通れません。子どもができないことで、将来結婚ができない大人の患者たちが増えていきます。ただ、ごくまれに骨髄移植で完治した後に無事に赤ちゃんを出産した女性の元患者さんもいますので、一概には言えませんが。

白血病の患者の方が、その経験者の方が、その後の将来が明るい日でありますように!

 

病気を乗り越えた強さと勇気を多くの人に伝えていきたいです。そして、自分の夢がいつか叶えることを信じて。

 

「どんな困難があっても、必ず乗り越えられるよ!絶対に自分を信じようね!!」

 

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