梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

アスリート伝説(その5)

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こんにちは。平和(高2)です。

今日は今年最後の「アスリート伝説」をお送りします。

 

今月は「衣笠祥雄」さんをピックアップ!

自分とどう闘いつづけるか―継続こそ力なり!
 

衣笠さんは日本を代表するプロ野球選手でした。

 

衣笠さんは京都出身で、アフリカ系アメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれたハーフです。

地元公立中学在学中では柔道部を希望していましたが、通っていた中学では柔道部がなかったため、野球部に入り、これが野球を始めたきっかけとなりました。平安高校(現:龍谷大学付属平安高校)では春のセンバツ(第36回)と夏の高校野球(第46回)でキャッチャーとして出場し、ベスト8の成績を残しました。

 

高校卒業後の1965年に広島カープに入団。当時の白石勝巳監督(故人)の方針で内野手に転向しました。1968年から一塁手として1軍レギュラーに定着。「鉄人」の愛称で親しまれており、野球選手の中でも小柄な体格でありながら、正反対に飛び抜けて体が丈夫でした。1975年に山本浩二さんとともにクリーンナップの一翼を担い、オールスターゲームでは山本さんとの二打席連続アベックホームランを達成しました。1976年に盗塁王のタイトルを獲得。1979年に左肩甲骨を骨折をする重傷を負いましたが、翌日には代打として姿を見せました。1980年に1247試合の連続試合出場の日本プロ野球記録が達成され、1982年に12年連続全試合出場を果たし、王 貞治さんの記録を破りました。1983年には通算2000本安打を達成し、名球会入りとなりました。1984年に37歳にして自己最高の打率329(3割2分9厘)、31本塁打、102打点の成績を残し、打点王を獲得し、広島のリーグ優勝・日本一制覇に伴ってMVPにも輝きました。その後は成績が低迷し、1987年に現役引退を表明。最後の試合となった大洋(現:DeNA)戦ではホームランと二塁打を記録し、ベンチを後にしました。同年6月に王さんに次いでプロ野球選手では2人目となる「国民栄誉賞」を授与され、1975年からつけていた背番号3は広島カープ永久欠番となりました。1965年~1987年までの成績は通算2677試合、10634打席、打率270(2割7分)、504本塁打、1448打点を記録しました。

引退後は監督やコーチなどの指導者にはならず、TBSの野球解説者、タレントとして番組のコメンテーターやラジオの音楽番組のパーソナリティーなどで活躍しました。1996年に野球殿堂入りをしました。2018年4月に巨人vsDeNA戦の中継で、TBSの野球解説者として出演しましたが、この出演が公での最期の姿となりました。

 

衣笠祥雄さんは2018年4月に「上行結腸がん」のために亡くなりました。71歳でした。亡くなる4日前に巨人vsDeNA戦の中継で、同じTBSの野球解説者の槙原寛己さんとのダブル解説体制となりました。実は2017年ごろから衣笠さんの声のかすれなど、体調不良を心配する声がありました。槙原さんは衣笠さんの体調が思わしくなく、なかなか声が出ない状態だったと語っており、その後帰らぬ人となりました。衣笠さんの訃報を受け、広島球団は対阪神戦の試合を衣笠さんの追悼試合とし、広島の選手や首脳陣たちが喪章を着用して試合に臨み、最初の試合前には黙とうがささげられました。広島カープの本拠地がある広島では、旧広島市民球場の敷地内には衣笠さんが連続出場記録を記念した碑があり、長崎県の元宮公園には衣笠さんの業績をたたえて名づけられた「衣笠球場」があります。選手として17年間けがなどがあっても休むことがなく最後までプレーをしました。衣笠さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

次はどの選手を紹介するのでしょうか?次回は来年の2月にお送りします。

 

というわけで、平和でした。

また明日です。

 

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