こんにちは!司紗(小5)です。
今日は「アスリート伝説」をお送りします。
今月は「藤川球児」さんをピックアップ!
藤川さんは日本の元プロ野球選手で、「松坂世代」の選手の一人でした。
藤川さんは小学生の時に野球をはじめ、「高知市立高知商業高校」では夏の高校野球で控え投手として出場。寺本四郎さん、土居龍太郎さんらとともに「高知三羽烏」と呼ばれていました。1998年のドラフト会議で、ドラフト1位で阪神に入団しました。
入団直後は体力の強化のため、二軍の活動がほとんどでしたが、2002年に先発投手として出場しましたが、思ったような結果が出ませんでした。
2004年に中継ぎに転向し、フォームも改造し、シーズン後半は1軍に定着。2005年にセットアッパーに定着し、53ホールドを記録し、最優秀中継ぎ投手を獲得しました。また、チームはリーグ優勝を果たし、中継ぎとして活躍していたジェフ・ウィリアムスさん、久保田智之さんとともに「JFK」を形成しました。
その後は久保田さんのけがで離脱したことに伴い、抑えに定着し、7月に35試合連続無失点となり、豊田 清さんが持っていた日本記録を更新し、絶対的守護神として定着しました。2007年には岩瀬仁紀さんと並ぶ46セーブを記録し、初の最多セーブ投手を獲得しました。同年オフにポスティングシステムでメジャーリーグ挑戦を表明しましたが、球団側が拒否されました。2012年に海外FA権を行使し、カブスに入団しました。
メジャーでは2013年4月のジャイアンツ戦で初勝利を挙げましたが、その後は故障が続き、2014年にレンジャーズに移籍するも、自由契約となってしまい、2015年に独立リーグの「四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドックス」に入団しました。
高知では先発として出場し、プロでは初の完封勝利を挙げました。2015年に古巣の阪神に移籍しました。
阪神に復帰後は先発として出場しましたが、思ったような結果が出ず、中継ぎとして再び転向しました。2018年には7月のDeNA戦で三振を奪ったことで、球団初のNPB一軍公式戦通算1000奪三振を記録しました。9月の広島戦では球団史上最多の通算701試合登板を達成しました。2019年には6月のソフトバンク戦で同一選手による150セーブ・150ホールドというNPB史上初の記録を樹立しました。2020年は故障などで思ったような結果が出ず、現役引退を発表しました。2000年~2020年の通算での記録ですが、NPBでは782登板、60勝38敗、243セーブ、163ホールド、防御率2.08でした。MLBでは29登板、1勝1敗、2セーブ、1ホールド、防御率5.74でした。
当初は先発投手として出場しましたが、思ったような結果が出ず、中継ぎに転向してからは2005年の優勝に貢献し、以降は中継ぎ、クローザーとして活躍しました。投球はストレートを最大の武器としており、打者の手元で浮き上がるように伸びるのが特徴で、「火の玉ストレート」と称されました。2006年と2009年にはWBCにも出場し、金メダルに貢献しました。引退後は野球評論家として活動するほか、阪神では「スペシャル・アシスタント」に就任しました。
次はどの選手が登場するのでしょうか?次回は6月にお送りします。
というわけで、司紗でした。
バイバ~イ(^_^)/
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