梅の実学園の仲間たち

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アスリート伝説(その9)

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こんにちは!俊彦(高3)です。

今日は「アスリート伝説」をお送りします。

 

今月は「上原浩治」さんをピックアップ!

覚悟の決め方 (PHP新書)

覚悟の決め方 (PHP新書)

 

上原さんは日本を代表するプロ野球選手&メジャーリーガーでした。

 

上原さんは大阪府出身で、小学生のころから野球を始めました。高校は地元にある「東海大学付属仰星高校」に進学。高校時代は甲子園の出場はありませんでした。高校卒業後は1年浪人を経て、「大阪体育大学」に進学。大学では阪神大学リーグなどで投手として活躍し、大学4年間でリーグ優勝5回、36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回という成績を挙げました。ちなみに大学のリーグで通算36勝と完封13はリーグ記録となっています。4年生の時に対姫路獨協大学戦ではノーヒットノーランを達成しました。そして、1998年のドラフト会議で逆指名で巨人に1位入団しました。

 

1999年は先発投手として活躍し、新人投手としては15連勝を記録。1966年に堀内恒夫さんが記録した13連勝を33年ぶりに更新しました。また、20勝4敗の好成績を残し、1990年の斎藤雅樹さん以来、9年ぶり、新人投手としては1980年の木田 勇さん以来19年ぶりの20勝投手となりました。また、最多勝利、最優秀防御率最多奪三振、最高勝率の4部門を制し、投手4冠を達成。新人王、ベストナインゴールデングラブ賞沢村賞を受賞し、特に沢村賞は20世紀最後の受賞者となりました。

しかし、2000年ではシーズン中のけがに加え、自身が運転する車と相手のバイクとの接触事故で業務上過失傷害で書類送検され、罰金30万円の略式命令を受け、球団からも厳重注意の上、謹慎10日間の処分を受けました。2001年ではけがによる離脱で不本意な結果となりましたが、2002年は自身初の200イニング登板を達成し、17勝5敗の好成績で最多勝を獲得し、最高勝率も達成。沢村賞ベストナインも受賞しました。2003年には7試合連続完投勝利を挙げました。

2005年にポスティングシステムによるメジャー移籍志願を公言しましたが、球団側との契約交渉がもつれてしまい、キャンプ入りが遅れました。このシーズンでは防御率リーグ3位などの好成績を残しましたが、打線の援護に恵まれず、9勝12敗と、初の負け越しを経験しました。

2007年からは抑え投手として起用され、5月の中日戦でプロ初セーブを挙げました。

2008年にFA権を取得。のちにFA宣言をして、正式にメジャーリーグ挑戦を表明。2009年にオリオールズに移籍しました。 

 

オリオールズでは開幕から先発ローテーション入りし、4月の対ヤンキース戦でメジャーデビューをし、初勝利を挙げました。しかし、その後は故障が相次ぎ、2011年からはセットアッパーを務めました。

2011年の途中でトミー・ハンター選手とクリス・デービス選手とのトレードでレンジャーズに移籍。高校時代の同級生だった建山義紀さんとチームメイトとなりました。レンジャーズでは主にリリーフとして活躍しましたが、相手のバッターから打たれる場面が多かったです。

2012年オフにレッドソックスに移籍。チームメイトには田澤純一投手(現:カブス(マイナー))らがいました。2013年シーズンでは日本人選手歴代最長の26試合連続無失点などを記録し、チームの地区優勝を決め、メジャーでは日本人2人目の胴上げ投手となりました。リーグチャンピオンシップシリーズでは1勝0敗3セーブ4安打9奪三振無四球無失点という圧倒的数字で、リーグ優勝決定シリーズMVPに選ばれました。リリーフでは2003年のマリアノ・リベラさん以来、史上3人目の快挙となり、日本人では初の受賞となりました。ワールドシリーズでは胴上げ投手となり、優勝に貢献しました。2014年シーズンからはクローザーに定着し、前半戦は18セーブをあげるなど、好成績をあげましたが、後半からは6試合の登板で10失点を喫する乱調に陥りましたが、最終的には26セーブなどをあげました。しかし、2015年からは故障が相次ぎ、不本意な結果となりました。

2016年オフにFAとなり、のちにカブスに移籍。2017年は4月のカージナルス戦で初登板し、1イニングを投げ無失点に抑えましたが、11月にFAとなりました。

 

FA後、メジャーからの契約のオファーがなければ今季限りでの引退の可能性を示唆しましたが、2018年に古巣の巨人との契約を結び、日本球界に復帰しました。3月の阪神戦でリリーフとして登板し、2008年の対中日戦以来3464日ぶりの公式戦登板を果たし、3535日ぶりにホールドをあげましたが、その後は不調が続き、10月に自由契約となりましたが、12月に再契約を結びました。2019年は同い年でもあるロッテの福浦和也選手と並んで球界最年長選手となりましたが、一度も復帰することはありませんでした。

 

上原浩治さんは2019年シーズンの途中の5月に現役引退を表明しました。尚、日本プロ野球12球団における令和最初の引退選手となりました。引退後の去就は明らかにされていませんが、野球評論家など何らかの形で野球に関わるかと思われます。これまでの通算記録プロ野球では312登板、205先発、56完投、9完封、21無四球、112勝67敗、33セーブ、23ホールド、勝率626、1400奪三振防御率3.02で、メジャーでは436登板、12先発、22勝26敗、95セーブ、81ホールド、勝率458、572奪三振防御率2.66でした。オフシーズンでは社会福祉支援に貢献し、2006年に骨髄バンクへの登録を呼びかける活動をはじめ、自身も骨髄バンクに登録しました。2007年に代謝異常の難病を患っていた少年との交流を実現し、その模様は日本テレビ系の「24時間テレビ」で放送されました。また、プロ野球・メジャー以外では2004年のアテネ五輪で銅メダル、WBCワールド・ベースボール・クラシック)では優勝に貢献しました。日米通算で20年間先発投手、リリーフ、クローザーとあらゆる場面で活躍し、2018年に日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成し、日本人では初の快挙で、世界ではトム・ゴードンさんに次いで2人目となりました。とりあえず、お疲れ様でした。

 

次はどの選手が登場するのでしょうか?次回は10月にお送りします。

 

というわけで、俊彦でした。

また明日。バイバ~イ(^_^)/

 

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