梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

3月14日の登場人物(その1)

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俊子(43歳) 川原重工業(株)

宮城ずんだチーム副アドバイザー。宮城県在住。仙台営業所で営業関連の部署に配属する一般事務。子どもたちも大きくなり、最近ではスポーツクラブに通い始めた。佳雄とは実の夫。誓子、那々子とは実の娘。

 

 

((その2)につづく)

 

「東日本大震災」と向き合う人たち

こんにちは。道子(中3)です。

3月11日、「東日本大震災」が発生してから6年になりました。

 

東京や関東でも被害に遭いましたが、特に被害に遭ったのが東北の宮城・岩手・福島。

地震による揺れに加えて、津波による被害、福島では「福島原発事故」が発生し、多くの方が避難を余儀なくされました。

 

「梅の実」の宮城・岩手・福島のメンバーでも被害に巻き込まれ、つらい状況の中で生きています。

今日はすべてではありませんが、「東日本大震災」と向き合っている人たちを紹介します。

 

~宮城~

宮城は東北の中心部。私の故郷でもあります。

宮城は地震の揺れに加え、津波に巻き込まれた地域もありました。震度は5強から6強までさまざまですが、栗原市では震度7を記録されました。

 

その中で宮城に住む俊子さん(43歳・メーカー勤務)一家です。

俊子さんは夫の佳雄さん(46歳・ガソリンスタンド店員)、長女の誓子さん(大学1年)、次女の那々子さん(高2)の4人家族。

震災時はそれぞれ学校・会社でした。震災当時の状況はどうでしたか?

>震災があった時は私は会社にいました。尋常でない揺れで余震も続いていました。会社は内陸部にあったので、津波の被害はありませんでしたが、夫も娘も学校や職場にいましたので、なかなか会うことができませんでした。会社からやっと家に戻ることができ、下の娘に会うことができ、夫にも会うことができました。しかし、上の娘は県内にある中等教育学校に通っており、津波に巻き込まれた地域にありました。娘からの連絡は一向になく、すごく心配でした。震災から3日後に娘から連絡があり、無事を確認できました。学校は津波に巻き込まれましたが、幸い娘たちは学校の屋上に避難したため、無事でした。しばらくは学校で避難生活を送り、同級生や先輩たち、先生たちと一緒にボランティア活動をし、被災者の支援をしました。水が引いたところで帰ることができることとなり、夫が学校近くで待ち合わせをし、車で迎えに来ました。そして、やっと上の娘と会うことができました。(俊子)

おうちの状況はどうでしたか?

>家はつぶれていませんでしたが、家の中の家具が倒れて、食器がぐちゃぐちゃになりました。まだライフラインが復旧していなかったので、しばらくは下の娘が通う小学校で避難所生活を送りました。ライフラインが復旧したところで、家に戻ることになり、徐々に元の生活に戻ることができました。(俊子)

学校や会社は復帰しましたか?

>しばらくは学校にも会社にも行きませんでしたが、長いこと避難生活を送ると生活ができないので、私と夫は1週間後に仕事に復帰しました。下の娘の学校は避難者が体育館に残ったまま学校に復帰しました。上の娘の学校は電車が開通するまでの間は夫が車で送り迎えをしました。(俊子)

現在はどうでしょうか?

>私も夫も相変わらず会社で仕事をしています。上の娘は中等教育学校を卒業し、県内の大学に進学しました。下の娘は小学校を卒業後、地元の中学校に進学し、現在は県内の高校に進学しました。上の娘は大学では災害関連の学科を専攻しており、将来は災害復興に関する仕事を目指しています。(俊子)

 

~岩手~

岩手も宮城と同様に、地震津波の被害に遭いました。

 

その中で岩手にある「旅館 さくら」の従業員のみなさんです。

「旅館 さくら」は支配人の建夫さん(40歳・旅館経営)と、奥さんで女将の美代子さん(38歳・旅館女将)の夫婦が経営する旅館で、家では建夫さん夫婦の家族や住み込みの従業員たちが暮らしています。従業員は仲居、番頭、料理人ら約50人がおり、それぞれの分野で仕事をしています。

今回は代表して、建夫さん夫婦にお話を伺いました。

震災当時の状況はどうですか?

>旅館も家も無事でしたが、家具などが倒れました。津波の被害はありませんでした。従業員は住み込みの者もいれば、自宅から通勤する者もいます。従業員の中には家が津波の被害に巻き込まれて帰れなくなり、家族の方が亡くなった人もいました。旅館は避難所となり、被災をされた方を収容し、しばらくは旅館で避難所生活を送りました。私たち従業員は休まずにボランティアをしました。ガスや水道、電気も通らなかったので、灯りは懐中電灯で、料理は料理人たちが外で炊き出しをしました。料理人たちが作った炊き出しを被災者の方は喜んで食べてくれました。しばらくして、避難所を閉鎖し、元の旅館に戻して、営業を再開しましたが、当時は全国的に自粛ムードになってしまったため、お客さんが来なくなりました。番頭たちがホームページやSNSを利用してお客さんに観光に来てもらおうと呼びかけました。夏ごろにはお客さんが来てくれて、徐々に元の生活に戻りました。(美代子)

現在の状況はどうですか?

>震災があってからは従業員の何人かは退職をしましたが、新しい従業員も入ってきたので、やっと旅館に活気が戻りました。当時うちの旅館で避難生活を送った被災者の方のひとりが結婚することになり、結婚式もうちの旅館で行いました。そのときに私たちに対する感謝の手紙を読まれた時には感極まりました。そのときにこの旅館が役に立ってくれてよかったなって思います。(建夫)

 

~福島~

福島は宮城や岩手のように地震津波の被害に巻き込まれただけでなく、その後の福島原発の事故で被害に遭いました。福島原発事故が原因で、県民の半分以上が県外へ避難しました。現在でも福島以外の都道府県で生活をしている人たちが多く、そこで大きな問題が起こっています。

 

その中で富山で自主避難をしている匡江さん(41歳・製造販売パート)一家です。

匡江さんは夫の勢二さん(43歳・メーカー勤務)、長女の実紗子(中3)、長男の凱人(小6)の4人家族。原発から少し離れた地域に住んでいましたが、原発事故が原因で、匡江さんは子ども2人と一緒に県外へ避難。夫の勢二さんは福島に残りました。

原発事故当時はどういう状況でしたか?

地震自体は大きな被害はありませんでしたが、原発放射能漏れがあり、その被害が怖くて、もう住み慣れた福島には住めなくなりました。子どもを放射能の被害から守るために、私は子どもたちを連れて県外へ移住しました。夫も一緒に移住しようと私は訴えましたが、仕事があるために離れることはできないと言い、夫を残して家を出ました。移住した先は富山県でした。(匡江)

富山に移住した時はどうでしたか?

>最初は衣類と財産を持ってやってきたので、住むところが見つかるまではホテルに住んでいました。3日後にアパートが見つかり、そこで3人で生活をしました。住民票の手続きに子どもの学校の手続きを済ませて、必要なものは買いそろえました。まだ場所も知らないし、知り合いもいなかったため、働くこともできませんでした。震災前は専業主婦をしていましたから。夫と結婚してからは働いていないので、ブランクもありました。それで、役所で生活保護の手続きをしましたが、夫の仕送りがあることで断られました。しかし、受付を担当していた職員の方が「福島から来たんですか?」って言われて、「はい。」と言いました。それで、職員の方が母子福祉の窓口で偶然見つけた職場のパンフレットを見せてもらいましたが、その職場は福島に自主避難をした母親が対象の手作りパンの製造と販売の仕事でした。「よかったら働いてみないか」って言われて、いろいろ考えた結果、その職場で働くことになりました。NPO法人が運営する職場だったので、時給は安いですが、これからの生活を考えると働かなければと思いました。子どもの学校でもいろいろと問題があり、長女が学校でバイ菌扱いをされるいじめを受けました。放射能は体に浴びると大きな病気にかかる恐れがありますが、人から人への感染をすることはありません。それで学校側にきちんとした対応をしてほしいと訴えました。幸い長女の当時の担任はきちんとした対応をしてくれたので、何とか大きな問題にならずに済みました。最近では福島から自主避難をした子どもたちがバイ菌扱いをしていじめられている事件が多いので、子どもも親も放射能に対する正しい知識を知ってほしいと思います。(匡江)

現在の状況はどうですか?

>夫は当時住んでいた場所から離れた市街地に引っ越しをして、一人暮らしをしています。夫は私たち3人がいつ戻ってきてもいいように、広いマンションに引っ越しをしました。子どもたち2人は地元の学校に通っています。私は夫の仕送りをもらいながら、現在の職場で働いています。職場では同じように福島で自主避難をしている母親たちばかりなので、子どものこととか生活のこととか、いろいろな悩みを共有しています。いずれは福島に帰りたいです。(匡江)

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震災から6年がたち、徐々に復興してきましたが、がれきの処分の問題や原発事故後の除染作業、県外へ自主避難をした子どもたちのいじめの対応、被災者の心のケアなど、いろいろな課題があります。

完全復興はまだまだ先ですが、いつか元の生活に戻れる日が来てほしいと思います。

 

今日は「東日本大震災」と向き合う人たちについてお送りしました。

 

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人気の小説・エッセイ(その6)

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ゴデー(こんにちは)!マルグレーテ(36歳)です。

今日は「人気の小説・エッセイ」をお送りします。

 

今月は「アンデルセン」をピックアップ!

 

アンデルセンは正式名称はハンス・クリスチャン・アンデルセンで、デンマーク出身の童話作家、詩人です。

1805年にデンマークで生まれ、1835年に作家としてデビューしました。その後は多くの作品を残し、1875年にこの世を去りました。

今日はすべてではありませんが、アンデルセンが残した作品を紹介します。

即興詩人

即興詩人

 

まずは「即興詩人」です。1835年に出版された小説で、デビュー作です。発売当時はかなりの反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されましたが、現在は日本以外では顧みる者はいないそうです。日本では森 鴎外が翻訳されたものが出版されています。

はだかの王さま

はだかの王さま

 

次は「裸の王様」です。1837年に発表された童話で、世界各国ではおなじみの作品です。

みにくいあひるの子 (アンデルセンの絵本)

みにくいあひるの子 (アンデルセンの絵本)

 

次は「みにくいアヒルの子」です。1843年に発表された童話で、こちらも世界ではおなじみ。みにくいアヒルの子はアヒルの群れの中で他のアヒルとは異なる雛が誕生し、周りのアヒルらにいじめられて、生きる希望を失った雛はやがて白鳥であることに気づき、仲間の白鳥と一緒になる物語。泣けてきます。

雪だるま (あなたの知らないアンデルセン)

雪だるま (あなたの知らないアンデルセン)

 

最後は「雪だるま」です。1861年に発表された童話で、意外ですが、あまり知られていない作品です。

アンデルセンの死後から100年以上がたちましたが、現在でも子どもから大人まで語り継がれる作品ばかりです。

 

次はどの作家さんの作品を紹介するのでしょうか?次回は5月にお送りします。

 

というわけで、マルグレーテでした。

ファヴェル(さよなら)。

 

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3月12日の登場人物

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安久亜(あくあ・高1) 県立琉球高校

沖縄県在住。部活ではバスケットボール部に所属。切手集めが趣味。

 

 

圭織→4月24日の登場人物

明→4月26日の登場人物

美穂→6月17日の登場人物

由香→6月20日の登場人物

沙耶加→9月13日の登場人物

麗華→12月29日の登場人物

成亮→3月31日の登場人物③

 

学校の掟~制服(その4)~

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***出演***

美穂(高2)

明(高2)

圭織(高2)

由香(高1)

成亮(高1)

麗華(高2)

沙耶加(高2)

安久亜(高1)

 

(一言)

今日は高校の制服あるあるをお送りしたよ!

高校は公立・私立とあるんだけど、高校は中学に比べて着こなしも自由!!

ブレザーのネクタイやリボンをゆるくしたり、女子のスカート丈を短くしたり、長くしたりするのは常識!!スカート丈を短くする女子高生は当たり前だし、兵庫の神戸ではお嬢様風に長くするのが流行りなんだ。

公立進学校では特に自由で、私服の着こなしもOKなんだ!制服の中にパーカーやトレーナーを着たり、普通の高校では色が決められてるカーディガンやセーターも、公立進学校では原色の色もOKなんだよ!!超うらやましい~。

 

あと、地域によっていろいろな着こなしがあり、北海道ではブーツを着用する女子高生や、沖縄ではズボンを半ズボン風に折る男子高校生もいるよ。北海道では冬は寒いし、沖縄では夏は暑いからね~。

 

中学では校則が厳しかったので、高校はいいね~。超自由だよ~!!

次回は中高一貫校の制服あるあるをお送りするよ。(美穂)

 

(他のみんなからひと言)

>うちのお兄ちゃん(直昭・高2)は公立高校に通っているけど、校則が超自由なのはびっくり!!お兄ちゃんはちゃんと着こなしているけど、同級生の子はネクタイをゆるくしたり、女子はスカート丈を短くしたりする子が多いです!!ウチの中学は校則が厳しいので、高校がうらやましいです!!!(沙由美・中2)

>私が通う高校では校則が厳しいです。中高一貫ではない私立の女子高校ですが、スカート丈を長くしても短くしてもダメです!!スカーフもきちんとつけないといけないし、登下校時の服装チェックも必ずあります!!私立高校では校則の厳しい学校がほとんどなので、公立のように自由な学校は一部の中高一貫の進学校だけ。私のような底辺の女子高校では自由な校則はあり得ないです!!公立高校は自由を与えているだけの放任主義が多いように思います!!(れいな・高1)

 

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地震の備え

こんにちは。道子(中3)です。

今週のおしゃべりカフェは「地震の備え」です。

今日は「東日本大震災」から6年となりました。復興まではまだまだ時間がかかります。

地震に遭った際に必要なのが地震の備え。地震の備えがあるのとないのとでは全然違います。

今日は「東日本大震災」に遭った宮城・岩手・福島に住むメンバーたちでおしゃべりしたいと思います。

メンバーは宮城からは私・道子、福島からは鞠子さん(高1)、岩手からは昭子さん(36歳・旅館仲居)です。

 

道子「今日は宮城のご当地グルメを紹介したいと思います。宮城のご当地グルメといえば、「牛タン」です!今回は牛タンを使った焼き肉弁当を地元で買ってきましたので、いただきましょう。では、いただきます。」

3人「いただきます。」

鞠子「ん!おいし~!!牛タンは食べてみたかったので、超幸せ~(*^。^*)」

昭子「さっぱりとしたたれと焼いた牛タン、ご飯とよく合いますね。おいしいです!」

道子「ありがとうございます!やっぱり、おいし~(*^。^*)」

 

~牛タン弁当を食べ終わったところで、本題です~

道子「今日は緑茶を飲みながらおしゃべりしたいと思います。今日のテーマは「地震の備え」です。この3人は「東日本大震災」の経験者です。地震の被害はどうでしたか?まずは昭子さん。」

昭子「大丈夫でした。家具は倒れて食器等が割れましたが、家族もみんな無事でした。しばらくは地元の小学校の避難所で生活をしましたが、私も主人も仕事がありますので、子どもたちを実家の両親に預けて、仕事に出かけましたね。」

道子「私のところも大丈夫でした。内陸部だったので、家具が崩れたのはありましたが、家族みんな無事でよかったです。」

鞠子「ウチ自身は地震の被害はそんなにありませんでしたが、福島では原発事故があったので…。」

道子「確かに福島は原発事故もありましたよね。県外へ逃げました?」

鞠子「ウチの家族は逃げませんでした。ウチの家では原発からかなり離れているので、避難勧告だけでした。一応地元の小学校で避難しましたが。しかし、ウチも妹(遼子・小6)も同級生の子の半分以上が県外へ避難してしまったので、仲がいい子がいなくなってしまったのがさみしいです。」

昭子「今はどうなの?」

鞠子「何人かの子は戻ってきましたが、まだ県外へ避難している子はいますね。あと、県外へ避難をしている当時の同級生の子が中学時代にいじめに遭ったんです。」

道子「いじめ?」

昭子「何でいじめに遭っているの?」

鞠子「中学時代の友達から聞いた話では、その同級生の子は原発にあったから感染すると言われて、バイ菌扱いされたり、県からお金をもらっているから、必要以上にお金をおごらせたりとひどいいじめを受けて、学校側も何の対応もしてくれなくて、結局不登校になったんですよ。」

道子「ひどい…。」

昭子「その子は高校には行っていないの?」

鞠子「地元の通信制高校に通っていますね。今でも同級生に会うのが怖くて、スクーリングにも行っていないそうで…。」

道子「原発の事故の放射能で被爆することはありますが、感染は聞いたことがないですね。」

昭子「うちの子どもが通う小学校でも福島からの避難者の子がいますが、その子はいじめられていませんよ。放射能は被爆すると、白血病などの大きな病気にかかる恐れはありますが、人から人への感染はないと思います。子どもも大人も放射能に対する間違った理解があるから、いじめが起こると思います。正しい教育をしないことが問題だと思います。」

鞠子「ウチもそう思います。「太平洋戦争」の時の原爆も被爆をして亡くなったり、大きな病気になる人はいますが、人から人への感染はないですし、聞いたことがありません。周りの間違った考え方が一人の子を傷つけているように思います。」

道子「福島は子どものいじめ以外に、マスコミからもいじめを受けていますよね。愛知の某テレビ局では「怪しいお米セシウムさん」というフリップを掲げたことで、アナウンサーが謝罪をした事件がありましたからね。」

昭子「あれは本当にひどい!リアルでは見ていないですが、ニュースで知った時はすごく腹が立ちました。」

道子「私が住む宮城と岩手では差別や偏見はないのに、福島に対しては未だに差別や偏見があるのは許せないです。一番悪いのは政府と電力会社だけで、一般の福島県民は何の罪もないです!!同じ震災に遭っているのに…。」

昭子「道子ちゃんの言うとおりです。同じ震災に遭っている人たちはどんな境遇であっても差別はダメだと思います!」

道子「私も同じです。一日でも早く差別や偏見のない国にしてほしいです。福島だけでなく、他の日本の地域や海外でも同じです。話は変わりますが、地震の備えはしていますか?まずは鞠子さん。」

鞠子「家具を固定したり、寝袋などを買いました。地震は二度と起きたくないです。」

昭子「私の家でも同じです。食料は乾パンや水などを買いました。子どもたちには震災に遭った時の防災教育をしています。震災の心のケアもそうですが、地震に立ち向かう勇気は必要ですから。」

道子「私も家具を固定したり、地震用のアイテムを家族で購入しました。あとは家は火災保険と同時に地震保険も加入しました。「備えあれば憂いなし」のとおり、地震には万全の備えは必要ですからね。」

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(左から鞠子、道子、昭子)

 

日本も、海外も、地震の備えはしておきましょう。

 

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