梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

芸人伝説(その8)

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こんにちは。陽輔(49歳・メーカー勤務)です。

今日は「芸人伝説」をお送りします。

 

今月は「笑福亭仁鶴(3代目)」師匠をピックアップ!

仁鶴師匠は日本を代表する上方落語家で、落語家だけでなく、タレントとしても活動をしています。

 

仁鶴師匠は大阪府出身で、定時制高校時代に古道具屋で購入した桂 春団治師匠(初代。故人)のSPレコードを聴き、落語に関心を抱き、その後は 関西の素人参加番組に出演。1962年に笑福亭松鶴師匠(6代目。故人)に入門を懇願し、のちに正式に弟子入りをしました。同年12月に「三越落語会」で初舞台を踏み、1963年に吉本興業に所属しました。その後の1960年代後半に桂 文枝師匠(6代目)、月亭可朝師匠(故人)とともに落語家としての出演の傍ら、タレントとしてテレビやラジオなどに多数出演し、お笑いタレントの宝庫として吉本の基礎を築きました。漫才作家の足立克己さん(故人)が「今日の吉本の基は仁鶴が作った」「吉本中興の祖」と評し、吉本興業の社長・会長だった林 正之助さん(故人)は「仁鶴さん」と呼んでいたほど、仁鶴師匠には頭が上がらなかったそうです。

のちに毎日放送の番組「ヤングおー!おー!」に出演し、全国区となりました。1973年に「ボンカレー」のCMに出演し、「3分間待つのだぞ」のフレーズで一世を風靡しました。

 

落語家としての持ちネタでは、「青菜」、「池田の猪買い」、「くっしゃみ講釈」など。タレントとしては落語家とは違ったギャグがあり、「どんなんかな~」が仁鶴師匠の代表的なギャグとなっています。

 

1980年代以降も落語家としては関西を中心に、全国各地に落語会や寄席が開催し、人気は急上昇。タレントとしても「バラエティー生活笑百科」「大阪ほんわかテレビ」などのレギュラー番組を長らく受け持ちました。

2005年に吉本興業の特別顧問に就任し、タレント・落語家活動を続けながらご意見番を担うことになりましたが、2017年に奥さんが亡くなり、以降はもうすぐ83歳になる年齢もあり、体調面を考慮しながら仕事をしていますが、レギュラー番組出演はいまだに見合わせている状態となっています。

 

1960年代に落語家として舞台に立ち、タレントとして多くのバラエティー番組に出演し、吉本興業所属のタレントたちに多大な影響を与えました。受賞歴は1974年に第3回「上方お笑い大賞」・大賞受賞など。主な弟子は笑福亭仁智師匠、笑福亭仁勇師匠(故人)、笑福亭仁嬌師匠などです。

 

次はどの芸人さんが登場するのでしょうか?次回もお楽しみに。

 

というわけで、陽輔でした。

また明日。

 

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