梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

芸人伝説

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こんにちは。兄二(45歳・メーカー勤務)です。

今日からプチログの新コーナー「芸人伝説」をお送りします。

 

このコーナーは新旧の芸人、お笑いタレントの歴史について、本やDVDとともに紹介します。

 

記念すべき第1回目は「ザ・ドリフターズ」をピックアップ!

ザ・ドリフターズ」は1970年~1990年代までに人気があったコントグループです。

 

ザ・ドリフターズ」はリーダー(当時)のいかりや長介さん(故人)、高木ブーさん、仲本工事さん、加藤 茶さん、志村けんさんの5人からなるグループでした。

もともとはお笑いのグループではなく、音楽バンドとして活躍していました。1956年に「マウンテンボーイズ」と「東京ウエスタンボーイズ」が合併して結成し、当時のメンバーはいかりやさんと加藤さん、桜井輝夫さん、坂本 九さん(故人)、小野ヤスシさん(故人)らでしたが、いかりやさんがリーダーに就任後は桜井さんはプロモーター活動に専念し、小野さんらが脱退。のちに高木さんと仲本さん、荒井 注さん(故人)が加入して、5人体制となりました。

 

1969年に「8時だョ!全員集合」が放送開始され、1971年3月にいったん終了しましたが、1971年10月から再び放送が開始され、1985年まで長きにわたり放送されました。1977年に「ドリフ大爆笑」が「火曜ワイドスペシャル」(1997年後半では「強力!木スペ120分」内で放送)内で放送されました。「8時だョ!…」では東京を中心に、全国の会場で行われた「公開コント」で、生放送で行われました。これに対し、「ドリフ大爆笑」では他のお笑い番組と同様、収録放送となっています。

荒井さん在籍時代のドリフでは「8時だョ!…」が中心で、ツッコミがリーダーであるいかりやさん、ボケが加藤さんが中心でした。しかし、1974年に荒井さんが脱退と同時に、当時付き人だった志村さんが正式メンバー入りをしました。

志村さんが加入し、新体制となったドリフは再始動となりましたが、加入当初は全く売れなかった志村さんは、「東村山音頭」をきっかけに大ブレイクし、以降はボケが加藤さんから志村さんが中心となり、「8時だョ!…」では当時の子どもたちの大人気番組となりました。1977年に「ドリフ大爆笑」が放送開始され、このほか、不定期で放送されたバラエティ番組にも出演し、日本を代表するお笑いグループとなりました。

 

8時だョ!全員集合」では、生放送の公開コントで、ゲストを招いてのコントをするのがお決まりです。前半コントは「学校コント」を除くコントではドリフの5人が出演。志村さんまたは加藤さんが中心のボケにいかりやさんのツッコミで笑いを誘い、派手な屋台崩しが見物でした。屋台崩しでは「大工コント」では建ててあった材木の家が崩れ落ちたり、「母ちゃんコント」では、いかりや家の家の屋根にパトカーがダイブしてのる(!)という、今では前代未聞の仕掛けを行っていました。「学校コント」では主に女性ゲスト(男性ゲストが出演するときもある)及び女性アシスタントが生徒役として出演し、ドリフとともにコントを行います。

前半コントのレパートリーが多く、主なものは以下の通りです。

「母ちゃんコント」:いかりやさんが母親、他の4人は子ども。今では暗いイメージのある母子家庭を明るく笑いを演出するコントです。志村さんは「ケン坊」というちょっと頭が悪く、キレやすい子どもの役で、今でいう発達障がいの子どもでしょうか。

「会社コント」:いかりやさんが課長(または編集長)、他の4人は平社員で、商社バージョンと出版社バージョンがあります。

「学校コント」:いかりやさんが先生、他の4人は男子生徒役、女子生徒役はゲスト・アシスタントが出演しました。授業では国語、算数、理科、社会、英語、作文、音楽が中心。小学校の設定ですが、女性ゲストはセーラー服の衣装を着用して登校します。その当時の小学校ではなかった英語も、ドリフのコントではいち早く導入し、のちに公立小学校でも英語が必須となりましたからね。

他にも加藤さんが父親役で、子ども役の志村さんのボケが少なかった「父ちゃんコント」や、志村さんがちょっとひ弱な金田一耕助役がメインとなった「金田一コント」、ドリフが森へ探検する「探検コント」、いかりやさんがコーチで他の4人がボクサー役の「ボクシングコント」(スポーツでは剣道、相撲などのコントもある)などもあります。

後半のコントでは仲本さん、高木さん、ゲストが中心の体操、ドリフとゲストが出演する「少年少女合唱隊」、いかりやさん以外の4人と一部ゲストが出演するショートコントが中心となります。体操ではトランポリンやマット運動が中心。ショートコントでは加藤さんと志村さんが出演した「ヒゲダンス」をはじめ、多くの人気コントが誕生しました。少年少女合唱隊では初期では普通の合唱が中心でしたが、のちに人気になった「早口言葉」は加藤さんと志村さん、ゲストが4つの早口言葉を披露しました。

「8時だョ!…」に出演したゲストは女性では松田聖子さん、小柳ルミ子さん、由紀さおりさん、中森明菜さんなど。男性では郷 ひろみさん、西城秀樹さん(故人)、田原俊彦さん、近藤真彦さんなど。まれに三船敏郎さん(故人)、若山富三郎さん(故人)、菅原文太さん(故人)などの大物俳優まで出演し、アイドルや演歌歌手を中心に、そうそうたるメンバーたちが出演しました。

 

ドリフ大爆笑」では、収録放送が中心で、「もしも」シリーズではいかりやさんが客役で、他の4人が店主役でコントを披露しました。他にもいかりやさんと仲本さんが出演した「ばか兄弟」やふだんはあまり表に出ない高木さんメインのコントである「雷様」などがありました。「8時だョ!…」と同様に、ゲストも出演し、主に女性ゲストが中心でした。1995年ごろからは「8時だョ!…」を彷彿とさせる公開コントが放送され、観客は「8時だョ!…」では小学生が中心でしたが、「ドリフ大爆笑」の公開コントでは若い女性が中心でした。「ドリフ大爆笑」も1998年に事実上放送が終了され、長きにわたって放送されました。

 

ドリフのコントは撮影用ではあるものの、食べ物を粗末にするネタや下ネタが多く、金たらいや一斗缶で殴る(落とす)など、「子どもがまねると危ない」などという名目でPTAの目の敵にされていました。しかし、メンバー以外の他人の誹謗中傷をネタにすることはなく、かつ素人いじりをしませんでした。1983年にいかりやさんとスタッフ、いかりやさんと加藤さん・志村さんとの不協和音が見られるようになり、「8時だョ!…」では当時裏番組だった「オレたちひょうきん族」に視聴率を抜かれ、1985年に「8時だョ!全員集合」が終了しました。

その後は「ドリフ大爆笑」以外では個人で活動をすることが増えてきており、ドリフターズが解散したとのうわさまで流れました。1990年代半ばに志村さんのレギュラー番組が終了すると、「ドリフ大爆笑」で5人全員のコントが復活するようになりましたが、2004年にリーダーのいかりやさんが病気のために亡くなりました。

 

いかりやさんの死後はリーダーは決めていませんでしたが、いかりやさんと最も古い付き合いがあることやメンバーを代表としてコメントをする機会があることなどから、加藤さんが実質的なリーダーであります。その後は当時放送された冠番組の総集編のスペシャルで4人がゲスト出演し、2017年には志村さんが出演していた「志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル」で4人そろってコントに出演しました。

 

ザ・ドリフターズはいかりやさんの死後からは単発的にバラエティ番組出演はあり、それ以外は個人での活動が中心です。現在は4人体制であり、解散はしておりません。

加藤さんはドリフの活動以外ではタレント・俳優として活躍。いかりやさんの死から2年後の2006年に「大動脈解離」を発症し、危険な状態から無事に生還を果たしました。1987年に一般女性と結婚しましたが、2003年に熟年離婚。2011年に当時68歳にして、45歳年の差の一般女性と再婚し、大きな話題にもなりました。

高木さんはドリフの活動以外ではタレントや俳優、ウクレレ奏者として活躍。ウクレレでは中学時代から始め、プロのウクレレ奏者として国内外のライブ活動をするほか、ウクレレ教室も開いています。

仲本さんはドリフの活動以外では俳優として活躍。「8時だョ!…」では中学時代から始めている体操を得意とすることから、体操のコントに出演したり、体を張ったコントが多かったです。1982年に最初の妻が死別し、1991年に一般女性と再婚しましたが、2004年に離婚。2012年に27歳年下の演歌歌手の三代純歌さんと再婚。2017年現在に芸能活動の傍ら、東京都内で居酒屋を夫婦で経営。お店の料理は妻の純歌さんが担当をしています。

志村さんはドリフの活動以外ではタレントとして活躍。「8時だョ!…」が終了した1996年に加藤さんとともに「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がスタートし、単独では「志村けんのだいじょうぶだぁ」や「志村けんのバカ殿様」(いずれも現在は単発不定期で放送)などの冠番組で活躍しています。現在のレギュラー番組は「天才!志村どうぶつ園」など2本。また、2006年にお笑いが中心の舞台「志村魂(しむらこん)」でも座長を務め、多方面で活躍しています。過去には女性問題もありましたが、ドリフのメンバーの中では唯一の未婚者で、もうすぐ70歳になる現在でも独身を貫いています。

いかりやさんはドリフの活動以外では俳優として多くの作品に出演しました。代表作は「踊る大捜査線」など。1999年に「踊る大捜査線 THE MOVIE」で第22回「日本アカデミー賞」・最優秀助演男優賞を受賞しました。尚、ザ・ドリフターズのメンバー個人の芸人としての活動、または個人・グループでの俳優としての活動、アーティストとしての活動についてはいつか紹介する予定です。

 

次はどの芸人さんを紹介するのでしょうか。次回もお楽しみに。

 

というわけで、兄二でした。

また明日!

 

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