こんにちは!聡一(高1)です。
今日は「アスリート伝説」をお送りします。
今月は「古賀稔彦」さんをピックアップ!
古賀さんは日本を代表する柔道家・指導者で、豪快な一本背負い技が得意であることから「平成の三四郎」の異名をとっていました。
古賀さんは兄の影響で小学生から柔道をはじめ、中学生の時に上京し、柔道私塾「講道学舎」に入門。中学・高校を経て、大学は「日本体育大学」に進学しました。中学から大学まで在学中はそれぞれのタイトルで実績をあげました。
1988年に「ソウルオリンピック」にオリンピック初出場を果たしましたが、3回戦で敗退しました。
1992年に「バルセロナオリンピック」に出場し、選手団の主将を務めました。大会直前にけがをして、痛みと闘いながら困難を乗り越え、見事金メダルを獲得しました。
1996年に「アトランタオリンピック」に出場しましたが、決勝戦で敗れて、銀メダルとなりました。2000年に現役を引退しました。
引退後は指導者となり、全日本女子柔道チーム強化コーチを務めました。2003年に子どもの人間育成を目的とした道場「古賀塾」を開塾。2007年に「環太平洋大学」の柔道部総監督に就任。2008年に「日本健康医療専門学校」の校長に就任し、「弘前大学大学院」でスポーツ医学の研究をはじめ、2012年に博士号を取得しました。
その後は指導者として、後進の育成をしましたが、2021年に帰らぬ人となりました。
古賀稔彦さんは2021年に亡くなりました。53歳でした。2020年からがんで闘病生活をしていました。古賀さんの死去を受け、講道館は亡くなった前日付けで九段に昇格させ、政府は「旭日小綬章」を受章となりました。あまりにも早すぎる突然の死で柔道関係者をはじめ、多くの後輩たちが死を惜しみました。古賀さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
次はどのアスリートが登場するのでしょうか?次回は8月にお送りします。
というわけで、聡一でした。
バイバ~イ(^_^)/
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