梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

アスリート伝説(その12)

f:id:umenomi-gakuen:20191221173748j:plain

こんにちは!脩希(なおき・高2)です。

今日は「アスリート伝説」をお送りします。

 

今月は「葛西紀明」選手をピックアップ!

家族で獲った銀メダル

家族で獲った銀メダル

  • 作者:葛西 紀明
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2014/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

葛西選手は日本を代表するスキージャンプ選手で、スキージャンプの選手としては20年以上のキャリアを持っています。

 

葛西選手は10歳でスキージャンプをはじめ、中3の時にテストジャンパーとして、大人と同じ助走距離で優勝した東 昭広さんの飛距離を上回るなど、逸材として注目を浴びました。「東海大学付属第四高校(現:東海大学付属札幌高校)」在学時の1988年・89年シーズンに「スキージャンプ・ワールドカップ」に16歳6ヶ月の史上最年少で初出場し、高校生ながら世界大会に出場し、結果を残しています。

 

高校卒業後の1991年に「地崎工業(現:岩田地崎建設)」に入社。翌年の1992年にアルベールビルオリンピックにオリンピック初出場を果たしましたが、ノーマルヒルでは31位、ラージヒルでは26位でした。その後のワールドカップでは自己最高の2位。「スキーフライング世界選手権」では金メダルを獲得し、日本人最年少記録を作りました。また、この大会のメダル獲得は日本人初で、日本国外開催のワールドカップ優勝は1980年の秋元正博さん以来12年ぶり2人目でした。その後は世界大会で数々の成績を残し、ジャンプの本場・ヨーロッパでは「カミカゼ・カサイ」の異名を放ちました。しかし、1994年・95年シーズン開幕前に合宿中で転倒し、鎖骨を骨折し、その後もけがが続き、世界大会には一度も出られませんでした。

1997年・98年シーズンに長野オリンピックに出場しましたが、個人ノーマルヒルでは7位でしたが、個人ラージヒルでは長野オリンピック前の12月にサッカーをしている最中に原田雅彦さんにたまたま足をけられ、左足首の捻挫をした影響で出場メンバーから外され、団体でもメンバーから外されました。くしくも団体では金メダルを獲得し、金メダルを獲得した団体メンバーたちの横目で悔しい思いをしました。そして、3月に所属していた「地崎工業」のスキー部が廃部になり、「マイカル(現:イオン)」へ移籍をしました。私生活では1997年に実家が全焼し、この火事で母親が亡くなりました。

1998年・99年シーズンではワールドカップで6勝をあげ、世界選手権では団体戦で自身初のメダルとなる銀メダルを獲得しました。しかし、その後は思ったような成績が伸びず、2001年・02年シーズンでは所属していた「マイカル」が廃部したため、現在の所属先である「土屋ホーム」に移籍をしました。2月にソルトレークシティオリンピックに出場しましたが、思ったような結果は出ませんでした。

2003年・04年シーズンではワールドカップ序盤よりたびたびシングルを記録し、2月のアメリカのパークシティの大会で優勝し、31歳7ヶ月の最年長優勝記録を樹立しました。2005年・06年シーズンにトリノオリンピックに出場。2009年・10年シーズンでは所属先の「土屋ホーム」スキー部の監督に就任することとなり、日本スキー界では異例となる「プレーイング・マネージャー」となりました。2月にバンクーバーオリンピックに出場し、ラージヒル個人では8位、団体では5位となりました。

2010年・11年シーズン以降は数々の成績をあげ、2013年・14年シーズンのワールドカップでは3位となり、ワールドカップ史上最年長(41歳6ヶ月)での表彰台入りをしました。その後は次々と最年長記録を更新。そして、2月のソチオリンピックでは夏季・冬季通じて史上最年長で日本選手団主将を務めました。ノーマルヒル個人では7位となりましたが、ラージヒル個人では2位となり、個人としては初のオリンピックのメダルとなる銀メダルを獲得しました。この銀メダル獲得で、日本ジャンプ勢のオリンピックメダル獲得は長野オリンピックでの船木和喜さん、原田雅彦さん以来16年ぶりで、41歳254日でのメダル獲得は、冬季五輪における日本人最年長記録となり、世界でも約66年ぶりの世界最年長記録を更新しました。さらに清水礼留飛選手、竹内 択選手、伊東大貴選手と出場した団体ラージヒルでも銅メダルを獲得し、更新したばかりの最年長メダル記録を41歳256日とわずかながらさらに更新しました。2014年には冬季五輪最多出場記録、ワールドカップ最年長優勝記録、オリンピックの最年長メダリストの3つの記録がギネス世界記録に認定されました。

2014年・15年シーズン以降も数々の最年長記録を更新しましたが、2017年・18年シーズンでは8大会連続出場となった平昌オリンピックに出場し、日本選手団の旗手を務めましたが、ノーマルヒルでは21位、ラージヒルでは33位でした。

2018年・19年シーズンではワールドカップ史上最年長トップ10入り記録を更新したものの、思ったような結果が出ず、世界選手権の代表には選出されませんでした。しかし、所属チームの教え子である小林陵侑選手が日本人男子初のスキージャンプワールドカップ総合優勝を達成しました。

 

40歳を過ぎても体力の衰えは感じさせず、現在でも現役として活躍。ジャンプの空中姿勢がダイナミックかつスリリングな独特のフォームはジャンプの本場・ヨーロッパで人気があり、かつては「カミカゼ・カサイ」と呼ばれていましたが、30代後半になり、以降も第一線で活躍し続けたため、いつの間にか「レジェンド」と呼ばれるようになり、この「レジェンド」が2014年の流行語大賞でトップテン入りをしました。所属先の「土屋ホーム」とはプロ契約ではなく、一般の社員として雇用されている実業団社員で、シーズンオフには社員として、会社のモデルハウスでのサイン会・握手会などの販促業務をこなしています。2014年には会社の「住宅部長」に昇進し、葛西選手プロデュースの戸建住宅も発売されました。私生活では母親を火事で亡くしたほか、妹が1993年に「再生不良性貧血」を発症し、入退院を繰り返していましたが、ソチオリンピックから2年後の2016年に亡くなりました。現在は父親と姉がいます。ソチオリンピックまでかねてから独身を貫いていましたが、ソチオリンピックで銀メダルを獲得した直後の2月22日に一般女性と結婚しました。次の北京オリンピックでは49歳になるシーズンですが、次の試合でも最年長記録を更新することでしょう。

 

次はどの選手が登場するのでしょうか?次回は4月にお送りします。

 

というわけで、脩希でした。

バイバ~イ(^_^)/

 

ランキングに参加しています。ぽちっと押してください!

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ オリジナルイラストへ
にほんブログ村


エッセイ・随筆ランキング


イラストランキング