こんにちは。寺田(51歳・運送会社勤務)です。
今日は「芸人伝説」をお送りします。
今月は「B&B」をピックアップ!
「B&B」は島田洋七さんと島田洋八さんとのコンビで、1971年に島田洋介さん・今 喜多代さん(ともに故人)に入門した洋七さんが1972年に別の相方とコンビを組み初代B&Bを結成し、初舞台から11ヶ月で賞を受賞しましたが、その後コンビは消滅しました。1973年に上方よしおさんと二代目のB&Bを結成しましたが、その後はよしおさんと大ゲンカとなり、コンビは解散しました。よしおさんはのちに西川のりおさんとコンビを組み、のりお・よしおとして活動をすることになります。1975年に洋八さんとコンビを組み、三代目のB&Bを結成しました。結成2年目に第6回「上方お笑い大賞」・銀賞を受賞。1978年には同大賞の奨励賞を受賞しました。
その後は漫才の舞台だけでなく、関西のテレビやラジオに出演。しかし、大阪での活動に不満を抱き、1979年に東京に進出。1980年に「花王名人劇場」内の「激突!漫才新幹線」に出演し、全国的な人気となりました。その後は数々の全国のバラエティ番組に出演し、オール阪神・巨人や今 いくよ・くるよ、紳助・竜介などとともに漫才ブームの火付け役となりました。
漫才スタイルは長髪でTシャツにGパンで、掛け合いを無視したボケの一方的なしゃべりで、広島や岡山などの地方ネタなどで従来の漫才とは違う新鮮なものです。ギャグとしては洋七さんが「もみじまんじゅうー!」という一発ギャグで、知名度を上げています。
1981年に「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演するなど、テレビやラジオで活躍しましたが、コンビとしての露出が減少し、1983年に解散となりました。その後は個人としての活動が中心となりました。
1990年代に洋七さんは他のタレントとともに漫才コンビを結成しますが、長続きせず、1996年に洋八さんと再々結成し、現在も活動をしています。2007年に洋七さんが所属先の「吉本興業」を退社しました。
1980年代までは漫才師としてコンビを組み、それ以降は一時個人の活動となりましたが、1990年代後半にコンビを復帰し、現在に至っています。個人としては洋八さんは2011年に吉本を退社し、タレントとしての活動のほか、「藤井洋八」名義で俳優として活動をしています。洋七さんは1999年から佐賀県を活動の拠点とし、地元で講演会中心の活動となりました。佐賀での少年時代を描いた「佐賀のがばいばあちゃん」が刊行され、ベストセラーとなり、のちに映画やドラマなどのメディア化となりました。たまにタレントとしての活動もしています。尚、2人の個人としての活動についてはいつかお送りする予定です。
次はどの芸人が登場するのでしょうか?次回もお楽しみに。
というわけで、寺田でした。
ほな、さいなら。
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