梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

昔のアイドルたち(その6)

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こんにちは!将理(中2)です。

今日は「昔のアイドルたち」をお送りします。

 

今月も前回に引き続き、70年代の男性アイドルを紹介します。

今日はぼく・将理のセレクトで、5人の男性アイドルたちを紹介します。

今度は、華麗な宴にどうぞ。

今度は、華麗な宴にどうぞ。

 

まずは「沢田研二」さんです。沢田さんは高校中退後に地元・京都のダンス喫茶でアルバイトをしていましたが、そこで「サンダース(のちのザ・ジェット・ブラザース)」に声をかけられ、17歳でローディ―兼ボーカリストになりました。その後、別のバンドのメンバーだった岸部一徳さん(その当時の芸名は岸部修三)からリードボーカルとして誘われ、岸部さんらのバンドに正式加入。そのバンドグループはのちの「ザ・タイガース」として、1960年代のグループサウンズをけん引したバントに成長しました。1971年に「ザ・タイガース」は解散し、沢田さんは他のバンドでの活動を経て、1971年に「君をのせて」でソロデビューをしました。主なヒット曲は「勝手にしやがれ」「TOKIO」など。1974年には今のビジュアル系男子ではおなじみの男性の化粧をこの当時の男性アイドルでは初めて行い、ライブでは派手な化粧やファッションで女性ファンたちをひきつけました。現在は歌手・俳優として活動をしており、70歳の現在でも精力的にライブ活動をしています。妻は女優の田中裕子さん。2018年に全66公演に及ぶ大規模な古希記念ライブで、10月に予定していた埼玉での公演が観客が少ないことを理由に開演直前になって急きょ中止になるトラブルが発生し、その時のネットニュースで現在の沢田さんの写真が公開され、ネット上では「カーネル・サンダース」に似ていることで話題になりました。

尚、沢田さんが所属していた「ザ・タイガース」については「アーティストの音楽」の方で更新しましたので、そちらもご覧ください。→アーティストの音楽(その35)

’72-’85DANDYISM

’72-’85DANDYISM

 

次は「郷 ひろみ」さんです。郷さんは1971年に「ジャニーズ事務所」のジャニー喜多川氏にスカウトされ、ジャニーズ事務所入り。その当時は都内の別の私立高校に通っていましたが、芸能活動を優先するために「堀越高校」に転校。1972年にNHK大河ドラマ「新・平家物語」で俳優としてデビューしました。歌手としては同年9月に「男の子女の子」でデビュー。11月には第14回「日本レコード大賞」新人賞を受賞しました。1973年に西城秀樹さん(故人)、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。主なヒット曲は80年代までは「お嫁サンバ」「2億4千万の瞳」など。1975年にジャニーズ事務所を退所し、現在の事務所に移籍をしました。現在も歌手として活動をし、90年代以降は「言えないよ」「逢いたくてしかたない」などのバラード曲や「GOLEFINGER'99」などの海外アーティストのカバー曲をリリースするなど、63歳の現在でも強靭な肉体で激しいパフォーマンスを披露しています。私生活では3度の結婚と2度の離婚経験があり、1987年に元女優の二谷友里恵さん(現:トライグループ代表取締役)と結婚し、結婚披露宴をテレビが大々的に中継されましたが、1998年に離婚。2000年に一般女性と再婚するも2005年に離婚。2012年に元プロ野球選手の徳武定祐氏(現:早稲田大学野球部コーチ)の次女と再々婚し、2014年に双子の男の子が誕生しました。

尚、郷さんのアーティストとしての活動については同じく「アーティストの音楽」にて更新しましたので、そちらもご覧ください。→アーティストの音楽(その15)

星空への誓い[EPレコード 7inch]

星空への誓い[EPレコード 7inch]

 

次は「城 みちる」さんです。城さんは1972年に中学3年生の時に「スター誕生!」の予選で優勝し、1973年に「スター誕生!」の第7回チャンピオンに輝きました。同時に地元・広島から上京し、高校も地元の高校から「明治大学附属中野高校・定時制」に転校(のちに「堀越高校」に転校)しました。同年に「イルカにのった少年」でデビューし、いきなり50万枚の大ヒットを記録しました。同じ時期にデビューをしたあいざき進也さん、豊川 誕さんらともに「新新御三家」と呼ばれていました。1975年に一時引退し、高校卒業後に「駒澤大学」に進学するも中退し、1979年に家業の電気店で働いていました。1986年に当時の芸能事務所の社長だった長良じゅん氏(故人)に誘われ、タレントのビートたけしさんと会食し、たけしさんから「来月から始まる番組に出ないか」と出演依頼があり、1986年に放送がスタートしたTBSのバラエティ番組「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」にレギュラー出演となり、芸能活動を再開しました。現在は地元・広島を拠点にタレントとして活動をしています。プライベートでは1973年に一般女性と結婚しましたが、1976年に離婚。1985年にローカルタレントの山本けいこさんと再婚し、夫婦でバラエティ番組にも出演しました。

新沼謙治ゴールデンベスト

新沼謙治ゴールデンベスト

 

次は「新沼謙治」さんです。新沼さんは中学卒業後、集団就職で栃木の左官業の会社で働き、1975年に「スター誕生!」で合格し、1976年に「おもいで岬」で演歌歌手としてデビューしました。1976年に「嫁に来ないか」で第18回「日本レコード大賞」新人賞を受賞し、「NHK紅白歌合戦」にも初出場しました。主なヒット曲は「ヘッドライト」「黒潮列車」など。演歌歌手でありながら、デビューから数年間はアイドル的な人気を集めており、「明星」などのアイドル雑誌にも登場していました。現在も演歌歌手として活動をしており、2012年にリリースをしたシングル「雪の宿」のカップリング曲「ふるさとは今もかわらず」では、母校の公立中学の生徒たちがコーラス隊としてレコーディングを行い、合唱曲としても反響を呼び、2013年に同曲の合唱バージョンとオリジナルバージョンを収録した「ふるさとは今もかわらず シンフォニックVer./合唱Ver.」をリリース。この曲でオリコンチャートの週間ランキングで25位となり、「ヘッドライト」以来、約36年ぶりにトップ30入りを果たし、第55回「日本レコード大賞」企画賞を受賞しました。

さすらいの英雄 [EPレコード 7inch]

さすらいの英雄 [EPレコード 7inch]

 

最後は「川崎麻世」さんです。1975年に素人参加コーナーの番組に出演し、その姿を目にしたジャニー氏が1976年にスカウトされ、地元・大阪から上京。ジャニーズ事務所入りをしました。1977年に14歳の時に「ラブ・ショック」で歌手デビュー。ブロマイドがヒットし、人気アイドルとなりました。デビュー当時は鼻が高い美少年でした。主なヒット曲は「さすらいの英雄」など。1983年に俳優としても活動をし、「劇団四季」の「キャッツ」などに出演しました。1989年にジャニーズ事務所を退所し、1990年にタレントのカイヤさんと結婚しました。現在は俳優として活動するほか、「恐妻家タレント」として、バラエティ番組に出演しています。カイヤさんとはバラエティ番組にも一緒に出演することが多く、1993年に歌手で女優の斉藤由貴さんとの不倫が発覚した時も、釈明会見でカイヤさんが同席をして話題になりました。2012年に川崎さんが2人の女性を自宅に連れ込んでいたことが写真週刊誌で報道され、カイヤさんもエチオピア人男性と不倫をしていたことが報道され、2001年~2002年ごろから別居をしていることが判明。不倫報道については2人とも否定しており、離婚もしていません。

今回紹介した5人の男性アイドルについては、「アーティストの音楽」「人気役者の映画・ドラマ」にて詳しく紹介する予定です。

 

次回も70年代の男性アイドルを紹介します。お楽しみに。

 

というわけで、将理でした。

バイバ~イ(^_^)/

 

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