こんにちは。伊佐夫(46歳・建設会社勤務)です。
今日は「人気役者の映画・ドラマ」をお送りします。
今月は「渡 哲也」さんをピックアップ!
渡さんは日本を代表する俳優で、多くの作品を残しました。
今日はすべてではありませんが、渡さんの作品を紹介します。
まずは「嵐を呼ぶ男」です。1966年に放映された映画です。渡さんは島根の生まれですが、育ったのが兵庫の淡路島です。きょうだいは4兄弟ですが、終戦後の物資の不足で長男と四男はすでに亡くなり、渡さんと弟で俳優だった渡瀬恒彦さん(故人)の2兄弟だけでした。中学・高校は「三田学園中学校・高校」に進学し、6年間寮生活。弟の渡瀬さんも同じ学校でした。大学は「青山学院大学」に進学し、途中から「早稲田大学」に進学した渡瀬さんと共同生活をしました。大学在学中に当時の所属事務所だった日活が新人を募集していたため、渡瀬さんと大学の部活の仲間が渡さんに内緒で応募したため、激怒しましたが、就職活動に失敗して、友人から「撮影所に行けば石原裕次郎(故人)に会えるかもしれない」と言われ、日活の撮影所を訪問し、そのままスカウトされて、1964年に日活に入社しました。1965年に映画「あばれ騎士道」で宍戸 錠さん(故人)とのW主演でデビューしました。同年に映画「赤い谷間の決斗」で石原さんと初共演しました。「嵐を…」はかつて石原さんが出演した代表映画で、渡さんが出演したのがそのリバイバル版です。
次は「勝海舟」です。1974年に放送されたNHK大河ドラマで、収録中に高熱が続き、のちに膠原病を診断され、長期離脱を余儀なくされ、代役には松方弘樹さん(故人)が起用されました。1968年に「無類」シリーズに出演し、渡さんの日活時代の代表作となりました。1971年に日活を退社し、石原さんのいる「石原プロモーション」に移籍しました。
次は「西部警察」です。1979年に放送されたドラマで、石原プロ制作のドラマの一つです。渡さんは数々の映画やドラマに出演するほか、石原プロの会社再建と経営安定のため、テレビドラマへ本格進出となり、石原プロ制作のドラマでは「西部警察」と「大都会」などに出演し、石原プロの発展に貢献しました。会社では石原さんが社長、渡さんが副社長をしていました。しかし、1987年に石原さんが肝細胞がんのために死去し、渡さんが二代目社長に就任しました。
最後は「35歳の高校生」です。2013年に放送されたドラマです。映画では2005年に放映された「男たちの大和」が、ドラマでは2013年に放送された「十津川警部」シリーズ50が最期の作品となりました。1990年代以降は病気との闘いが続き、1991年に直腸がんを発症し、人工肛門をつけていることを明らかにしました。2011年に石原プロの社長を退任し、同年に放送されたドラマ「帰郷」で弟の渡瀬さんと約40年ぶりの共演を果たしましたが、2017年に渡瀬さんが多臓器不全のために死去しました。2015年に急性心筋梗塞で治療を受けましたが、同年に「松竹梅」のCMで復帰しました。しかし、2020年に帰らぬ人となりました。
渡 哲也さんは2020年に肺炎のために死去しました。78歳でした。訃報の発表前にすでに家族葬をすましており、お別れ会の予定もありませんでした。くしくも石原プロが石原さんの版権管理に一本化するため、俳優業としては解散となりました。昭和、平成、令和と、日活映画から石原プロの経営や俳優業、炊き出しなどのボランティア活動など、多方面で活躍しました。2005年に紫綬褒章を受章。1997年に「誘拐」で「日本アカデミー賞」優秀主演男優賞を受賞など。渡さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
次はどの役者が登場するのでしょうか?次回もお楽しみに。
というわけで、伊佐夫でした。
また明日。
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