梅の実学園の仲間たち

梅の実学園のメンバー(生徒)たちの物語です。現在のメンバーたちは4800人(匹)!!みんなで作る学園です!!

闘病生活の思い出

こんにちは。優太(中1)です。

5時間目の授業の時間。この日は体育です。

中学の体育って、男女別。女子はどんな授業をしているのかは知りませんが、男子はサッカーの授業です。

ぼくたちのクラスと隣のクラスとの練習試合。前半はぼくたちのクラスが1点をリード!

ところが、康介(中1)がシュートに失敗して、そのはずみで転んじゃった!転んでけがをしてしまい、ぼくと惇(中1)は保健室へ連れて行くことに。

 

優太「大丈夫?」

康介「ゴメン。バランスを崩しちゃって(^_^;)」

優太「すぐに手当てするね。」

ちなみにぼくは保健委員。ある理由で自ら立候補しちゃいました!

たまたま保健室の先生が会議で不在だったので、ぼくが傷の手当てをすることに。

康介「痛い…。」

優太「大丈夫?少しがまんしてね。」

消毒液で傷を塗った後、絆創膏を貼って終了!

優太「これでおしまい!」

康介「ありがとう。」

惇「ちょっと授業をさぼっちゃおうか?残り時間も少ないし。」

優太「え~つ!?ダメだよ~(>_<) 先生に怒られちゃうよ~。」

康介「惇、いいね!こういうことって、なかなかできないよね。3人でボーイズトークしちゃおっか。」

優太「ったくしょうがないな~(^_^;)、2人とものんきなんだから。」

ぼくは保健日誌を書きながら、3人でしゃべった。たまたまベッドで寝ている生徒はいなかったけど。

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あ、そうだ。ある理由で保健委員に立候補したこと、こっそり教えちゃうね。

ぼくは一見、すごく元気だけど、実は大きな病と闘ったことがあるんです。

 

~3年前~

ぼくは生まれて間もなく、体に異変がありました。

呼吸が乱れたり、唇が紫色になったりと…とにかくおかしかったのです。

両親はすぐに地元の小児科へ行きましたが、医者から心臓に大きな病気があるといわれ、東京にある「慶明大学附属病院」へ行くようにと、紹介状を書いてもらいました。

大学病院で詳しく検査をしたところ、病名は「ファロー四徴症(しちょうしょう)」でした。この病気は、心臓の機能のうち心室の壁のようなものに穴が開く「心室中隔欠損症(しんしつちゅうかくけっそんしょう)」など、4つの先天性心疾患の兆候が見られる病気です。

 

すぐに入院。次々と検査を受けました。幸い重い症状が出ていないとのことで、すぐに手術をする必要はなく、薬の服用などの治療がほとんどでした。

ずっと入退院を繰り返していたので、幼稚園、小学校低学年から元気に退院するまでは出席回数が少ないです。幼稚園でのお遊戯、小学校での体育の授業は見学。運動会などの競技には出れませんでした。もちろん、勉強も遅れていました。

一番つらいのは入院生活。当時は注射が大嫌いで、毎日注射や点滴があるので、その痛みで泣き叫んでいました(>_<)

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検査も大嫌いで、採血や心電図、心臓エコーなどもありましたが、その中でも「心臓カテーテル検査」が一番嫌いでした!見た目は手術ですが、心臓の中に細い管を入れて検査をするので、麻酔の注射をしますが、それがすごく痛かった(>_<) それを年に何回かはあるので、その時はどこかへ逃げていましたね(^_^;)

学校の勉強ですが、入院した病棟が「心臓血管外科」病棟だったので、小児科ではありませんでした。院内学級もなく、病院近辺の小学校の先生が訪問してくれて、時々勉強を教えてくれました。

 

入院した中で、大人の方もいましたが、同じ病気で苦しんでいる同年代の子どもたちもいました。すぐに仲良くなってよく遊んでいたけど、その子どもたちが病気で苦しんで、力尽きて死んでしまった子をぼくは何度も見ました。その時はつらくてずっと病室で泣いていました。また、元気になって退院した子もいましたし、入退院を繰り返した子もいました。

入院時のぼくは、看護師に手を焼く子どもでした。治療や検査の時間になると、全く言うことを聞かない、病院を抜け出す、治療中に暴れたり、泣き叫んだりする「問題児」でした(^_^;)

 

そのぼくにも転機が訪れました。小4の時でした。

これまで担当だった女性看護師に代わって、当時新人看護師だった和弥さん(25歳・看護師)が、ぼくの担当になりました。いつも問題児だったぼくを和弥さんは怒りもせず、1人の人間として接してくれました。つらい検査や治療のとき、ずっとそばについてくれて、いつもぼくを励ましてくれました。

時々、病院を抜け出たこともありました。そんなぼくを和弥さんはずっと探してくれたことがありました。

 

ある日、病棟で仲良しになった子が、突然容体が急変して死んでしまい、ずっとつらくて、その子の後を追って死のうとして、病院を抜け出しました。病院を抜け出したときにぼくの容態が急変し、その場で倒れ込みました。和弥さんが探して見つけた時、ぼくは一時危険な状態に陥りました。後日、そのときに受けた検査の結果、手術が必要と診断されました。

「ファロー四徴症」の場合、他の先天性心疾患に比べて、成功する確率は10%前後しかありませんでした。治っても、「感染性心内膜炎(かんせんせいしんないまくえん)」などの感染症にかかる恐れがあるため、以降の経過観察が必要になってきます。((注)個人差があります。)

ぼくは怖くて手術を受けるのをためらっていましたが、和弥さんは、

和弥「大丈夫!優太くんなら絶対に治るから、あきらめないでがんばろう!」

と、励ましてくれました。

その励ましで、ぼくは手術を受けることを決意しました。

それまで何度も検査を受け、いろんな治療を経て、いよいよ手術の日が来ました。

 

タンカーで運ばれ、手術室へ。

中へ入ると…テレビドラマや医療ドキュメンタリーのような光景でした!!

ベッドに移し、身動きができない状態で、青緑色の服を着た医者や看護師たちが何か話をしていて、周りには手術に使う器具類が並んでいました。

ぼくは体が震えて怖くなり、ついに泣き叫んでしまいました。

優太「嫌だ~!!助けて~!!怖いよ~!!」

それに気づいた医者たちがびっくりして、何とかぼくをなだめていました。けど、ずっと興奮して泣き叫んでいました。

そこに和弥さんがやってきました。

和弥「優太くん、大丈夫、大丈夫。怖いよね。落ち着くまでずっとついているからね。」

そばにいた麻酔医の先生も、ぼくを励ましてくれました。

麻酔医「大丈夫だよ。手術は眠っている間に終わるから心配しなくていいんだよ。ほら、看護師さんもずっと手を握っているから、もう怖くないよ。」

和弥さんはずっとぼくの手を握ってくれました。麻酔で眠くなるまでに。

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主治医の先生も笑顔で励ましてくれました。

主治医「優太くん、大丈夫だよ!必ず君の病気を治すからね。一緒にがんばろう!!」

優太「…うん…(涙声)。」

その後、麻酔を受け、眠くなりました。ぼくの口に人工呼吸器をつけた後、和弥さんは手術室を後にし、病棟へ行きました。

 

そして、和弥さんら病棟の看護師さんら、家族が見守る中、ぼくの手術が始まりました。

主治医の先生たちは、ぼくの体にメスが入り、心臓の中にたまっていた悪い病気を取り除いたり、修復したりしました。

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そして、手術が終了!約10時間を越える大手術でした!!しかも無事に成功しました!!!

 

ぼくが気がついたときには、ICU(集中治療室)の中でした。そこには両親や和弥さん、主治医の先生たちがいました。

主治医の先生が「優太くん、よくがんばったな!」とねぎらい、そして両親は泣きながら「ありがとうございました!」と先生にお礼を言いました。

和弥さんが点滴をしていないほうの手を握り、

和弥「がんばったね。本当に強かったよ。」

と声をかけてくれました。

ぼくは酸素マスクをつけたままだったのであまりしゃべれませんでしたが、よかった…とホッとしました。手術はすごく痛かったけど、今思えばがんばってよかったな~って思っていますよ。

 

ICUにいる間も和弥さんは時々手紙を送ってくれて、つらい治療のとき、何度も手紙を読み返しながらがんばりました。それだけでなく、先生たちも治療中ずっと励ましたり、気持ちを落ちつかせたりしてくれました。そうしているうちに心が落ち着いてきて、そんなぼくもいつか先生たちのようになりたいと心に思いました。

その後、術後の経過は順調で、ICUから普通の病室に戻り、車椅子から普通に歩けるようになりました。

 

いよいよ退院の日が近づいていて、最後の検査の結果、順調に回復していて、普通の生活が可能になりました。

主治医「おめでとう。長い間よくがんばったね!ずっとつらかったね。もう大丈夫だよ。」

と、主治医の先生に言われ、ぼくはこれまでたまっていたものが爆発したかのように、大粒の涙を流しました。

和弥「よかったな、優太くん。よくがんばったね。」

和弥さんの一言でいっぱい泣きました。そして和弥さんは、ぼくをぎゅっと抱きしめました。

優太「ありがと…ありがと…。ううっ…ぐずっ…。」

そして元気に退院して、学校にも復帰しました。それから授業の遅れを取り戻すため、必死で勉強しました。

 

退院から2年後、医者の道に進むため、中学受験をして今の学校に合格しました。主治医の先生も、病棟の看護師さんや患者さんたちもわが事のように喜んでくれました。

 

主治医の先生が、ぼくに初めて本当の病気のことを告知し、その病気の説明をしてもらいました。また、特別に手術のときのビデオを見せてもらいました。

入院した当時は親は本当の病気のことを知っていましたが、ぼくはこれまで親から「心臓に爆弾がある」などと教えられました(ワラ)。本当の病気を知ったときはびっくりしました。

でも、実際に手術のビデオを見たとき、自分の血を見て一瞬気分が悪くなったことがあったけど、手術中に眠っているぼくを先生たちは「がんばれ!」って時々声をかけてくれたシーンを見て、うるっと来て泣きそうになりました。いったん止まっていた心臓が動き出したときは、本当に感動しちゃいました!

この時、たくさんの人たちが救ってくれた命を大事にしていこう、そして亡くなった友達の分まで生きていこうと決心しました。

 

退院からずっと会っていなかった和弥さんから、手作りの「看護記録ノート」をもらいました。そのノートにはこれまでの入院治療のときの記録や和弥さんからの激励のメッセージが書かれていました。それと病室に置き忘れていた、ICUにいた時の手紙の数々もありました。それを見て涙が止まりませんでした。

このノートを胸に、ぼくは中学生になり、のちに和弥さんと再会をしました。

今ではプライベートでも遊びに行ったりする仲になりました。時々メールのやり取りをしたり、困ったときや医療従事者の先輩としての一番の相談相手です。

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今では普通に勉強もできます。スポーツもマラソンなどの激しい運動はダメですが、ほとんどが普通に運動ができるようになりました。体育の授業も気軽に参加ができますよ。部活もテニス部に入っています。

毎月の定期健診も、当時は苦手だった注射も、今は平気になりました(*^。^*) これも入院治療で鍛えられたんだな~って思ってます。

医者の勉強になるからと、保健委員に立候補しました。主にクラスメイトたち(ぼくは男子が中心ですが)のセルフケアを担当したりしています。

入院した経験から「ぼくも何かできることはないか」と思い、今の大学病院でボランティアをはじめました。学校が休みの日の月に2回ほど心臓血管外科病棟にいる患者の子どもたちに勉強を教えています。

 

和弥さんも、康介も惇も、ほかの「梅の実」のみんなも、ぼくの闘病生活のことを知っています。(全く会ったことがない人たちもいますが(^_^;))特別扱いはせずに、普通に仲良くしていますよ(*^。^*)

 

この闘病生活がきっかけで、命の大切さ、生きることのすばらしさをたくさんの人たちから学びました。どんなにつらいことがあっても絶対に生きていこう!自分と向き合っていこう!と、前向きにがんばっています。

生きていること自体がすばらしいことを伝えて、それで周りが元気になってくれたらすごくうれしい。

つらかった闘病生活も、今では懐かしい思い出です。

 

…と、3人でしゃべっているうちにチャイムが鳴った。

惇「あ、終わっちゃった!」

康介「もっとしゃべりたかったよね~。」

優太「そうだよね~。あ、早く着替えないと!次は英語だよ!」

康介&惇「そうだった!!」

こうして保健室を後にし、すぐに教室へ。次の授業の準備をしないと!

 

途中でぼくは立ち止まって風で揺れている木を見つめていた。心地いい風がとても気持ちいい。

康介「優太、行くよ!」

優太「うん!」

 

今はこうして健康で普通に生きていることが一番幸せ。そう思える自分が大好き!

でも、何らかの理由で自分が嫌いになって、自ら命を絶ったり、人と殺し合いになったりする人たちのニュースを見ると、本当に悲しいです。

もっと自分を大事にしてほしいです!全くの健康体の人も、障がいのある人も、どんな境遇であっても、ひとりひとりの大切な「命」だから。

 

全ての人たちに希望を贈ることが、ぼくの一番の使命であり、夢でもあります。

生きることの楽しさ、すばらしさを、多くの人たちに伝えていきたいです!

 

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