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人気の小説・エッセイ(その35)

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こんにちは。光尋(高3)です。

今日は「人気の小説・エッセイ」をお送りします。

 

今月は「芥川龍之介」をピックアップ!

 

芥川龍之介は日本を代表する小説家で、多くの作品を残しました。

今日はすべてではありませんが、芥川龍之介の作品を紹介します。

今日は「羅生門」を紹介します。1915年に刊行された小説で、龍之介の代表作です。

 

芥川龍之介は東京の生まれで、1892年に牛乳屋の息子として生まれました。生後7か月ごろに母親が精神に異常をきたしたため、母親の実家に預けられ、伯母に養育されましたが、11歳の時に母親が亡くなりました。姉は2人いましたが、上の姉が龍之介が生まれる1年前にわずか6歳で亡くなっています。翌年に叔父の家に養子となり、芥川姓を名乗ることになりました。1898年に「江東尋常小学校(現:墨田区立両国小学校)」に進学。「東京府立第三中学校(現:東京都立両国高校・附属中学校)」を経て、1910年に「第一高校(現:東京大学教養学部など)」に進学。同期には菊池 寛(故人)、久米正雄(故人)らがいました。1913年に「東京帝国大学(現:東京大学)」英文学科に進学し、その当時の英文学科は1学年数人しか合格者を出さない難関でした。

1914年に菊池、久米らとともに同人誌「新思潮」を刊行。「新思潮」廃刊に至るまで同誌上に処女小説「老年」を発表し、作家活動がスタートしました。1915年に「羅生門」を発表しました。1916年に「鼻」が発表され、夏目漱石(故人)に絶賛されました。同年に「東京帝国大学」を卒業し、その後は就職の話があったものの、作家活動に専念し、その後は「芋粥」「地獄変」「河童」「蜘蛛の糸」など、多くの作品を発表しました。

1921年に海外視察員として中国を訪れましたが、この旅行後から次第に心身が衰え始め、神経衰弱などを患いました。1923年に「関東大震災」が発生し、龍之介は地元の自警団に、病身を押して参加しました。1925年に「文化学院」の講師に就任しましたが、1926年に胃潰瘍などを患い、療養生活となりました。1927年に義理の兄が放火と保険金詐欺嫌疑をかけられて自殺を図り、龍之介は義理の兄が残した借金や家族の面倒を見なければなりませんでした。しかし、同年7月に「続西方の人」を書き上げた後、斎藤茂吉(故人)からもらった睡眠薬を飲んで服毒自殺を図りました。35歳の若さでした。

 

作品の特徴としては、短編小説が多く、初期の作品には西洋の文学を和訳したものも存在します。短編の傑作を残した一方で、長編の作品は物にすることはできませんでした。龍之介亡き現在では、龍之介が残した多くの作品が読まれ、後世に語り継いでいます。

 

というわけで、光尋でした。

 

 

*お知らせ*

2016年にお送りしました「人気の小説・エッセイ」はこの回を持って休止いたします。ありがとうございました。

 

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