こんにちは。桂太郎(54歳・漬物店勤務)です。
今日は「人気役者の映画・ドラマ」をお送りします。
今月は「萩原健一」さんをピックアップ!
萩原さんは日本を代表する俳優で、多くの作品を残しました。
今日はすべてではありませんが、萩原さんの作品を紹介します。
まずは「太陽にほえろ!」です。1972年~1986年に放送されたドラマで、萩原さんはマカロニという愛称の刑事役を演じました。萩原さんは高校在学中にスカウトされ、当時17歳だった1967年に「ザ・テンプスターズ」のメンバーとしてデビュー。ボーカルを担当しました。1970年に「ザ・テンプスターズ」が解散し、沢田研二さん、岸部一徳さんらとともに「PYG」というバンドで活動しました。俳優としては1967年に「濡れた逢引き」で映画デビュー。ドラマでは1971年に「時間ですよ2」でデビューしました。1972年に映画「約束」で降板してしまった主演俳優の代役として抜擢し、これを機に本格的に俳優として転身しました。
次は「前略おふくろ様」です。1975年~1976年までの第1シリーズと1976年~1977年までの第2シリーズまで放送されたドラマです。1972年に音楽活動を停止し、その後立て続けに映画やドラマに出演しました。1975年にソロとして音楽活動を再開しました。私生活では1975年にモデルの女性と結婚しましたが、1978年に離婚。1980年に女優で歌手のいしだあゆみさんと再婚しましたが、1984年に離婚。1996年にヘアメイクアーティストの女性と再々婚しましたが、2006年に離婚。2011年にモデルで教育カウンセラーの冨田リカさんと3度目の再婚をしました。しかし、1983年に大麻不法所持で逮捕され、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決となり、逮捕から裁判終了まで約1年間芸能活動を休止しました。その後復帰したものの、1984年に飲酒運転で人身事故を起こし、業務上過失傷害罪で再び逮捕されました。1985年に女優の倍賞美津子さんとの2ショット写真を週刊誌に撮られたことで、カメラマンらに暴行し、書類送検され、立て続けに犯罪を犯してしまいました。
次は「課長サンの厄年」です。1993年に放送された「東芝日曜劇場」枠のドラマです。その後は俳優と歌手を並行して活動し、俳優としては多くの映画やドラマに出演しましたが、2004年に再び交通事故を起こし、業務上過失致傷罪で現行犯逮捕され、主演映画「透光の樹」の撮影の際に監督やスタッフ、共演者への暴言・暴行を繰り返したために途中降板され、前払いの出演料半額分の返還をプロデューサーから求められた際に、「一方的に降板させられた」として拒否。さらにプロデューサーに電話をかけ、国税庁や警視庁、実在する暴力団の名前を挙げて「必ずやっつけますから」と脅迫する言葉を留守電に残し、出演料全額分の支払いを要求したことで、製作側から恐喝未遂容疑で告訴され、翌年に逮捕されました。この恐喝事件で2005年に懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受けました。また、2005年に出演したテレビ番組内で「大麻解禁にしましょうか」と発言し、その後、厚生労働省から注意され、ドロ沼の人生となってしまいました。
最後は「TAJOMARU」です。2009年に放映された映画で、映画ではこれが最期の作品で、ドラマでは2018年に「不惑のスクラム」が現時点で最期の作品となります。晩年は芸能活動の傍ら、東洋思想や仏教研究に取り組みましたが、2011年に体調不良で闘病生活が続きましたが、萩原さん本人の強い希望で病名の公表を控えていました。しかし、2019年に体調が悪化し、帰らぬ人となりました。
萩原健一さんは2019年にGIST(ジスト。消化管間質腫瘍)のために亡くなりました。68歳でした。葬儀は家族のみで営まれましたが、共演していた高橋惠子さん、桃井かおりさんらが追悼コメントを出していました。2019年にNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリンピック噺~」に没後に出演することが明らかになっており(収録は生前に行われている)、これが放送されるとドラマとしては最期の出演となります。受賞歴は「誘拐報道」で第6回「日本アカデミー賞」優秀主演男優賞など。俳優として数々のドラマや映画に出演。歌手としては「ザ・テンプスターズ」、ソロなどで多くの作品をリリースしましたが、度重なる犯罪を犯すなど、波乱万丈の人生でした。萩原さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
次はどの役者さんが登場するのでしょうか?次回もお楽しみに。
というわけで、桂太郎でした。
また明日。
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